◆2005年06月の日記◆
ありがとう →2005年06月27日
背筋で感じた、初・体・験 →2005年06月24日
たわごと →2005年06月20日
くわタン →2005年06月15日
前髪 →2005年06月07日



◆過去の日記◆
・2005年04月
・2005年03月
・2005年02月
・2005年01月
・2004年12月
・2004年11月
・2004年10月
・2000年6月〜2004年10月(そのうち削除予定)



  ありがとう →2005年06月27日(月)


 ここには書くまいと思っていた事だけど、我慢出来なくなったので書く。


 今日、嬉しかったこと。
 コンビニの店員さんの笑顔。
 無くした500円玉の発見。
 それから……。







 土曜日の朝、嫌なことが降ってきた。
 突然だった。
 前日の夜まで、友人と電話したり、漫画を読んだり、脳ミソが弾けすぎて壊れちゃうんじゃないかってくらい元気だったり したのに、突然、誰とも逢いたくなくなった。
 まずいな、と思った。
 誰にも逢いたくないと言ったところで、逢わないでは暮らせない。
 夏休み中の学生とかならいざ知れず、私の手帳は今週も予定で埋め尽くされていた。
 自分だけの予定ばかりならいいけれど、勿論違う。
 出かけなきゃ、と、思う。
 せめて連絡を入れなくちゃ、と、思う。
 早くしなきゃ、ちゃんとしなきゃ、何かしなきゃ。
 やがて、携帯の着信を知らせるバイブレーションの振動が床越しに聞こえ始める。

 どうしたらいいのかわからなくなった。

 ただひたすら、私は誰とも逢いたくなくて、どこにも行きたくなくて、苦しくなった。
 そんなの理由にならないのは知っていた。
 私には、私に課せられたいくつかの責任があって、例え高熱が出ても「とりあえず現地へ向かってください」と言われた事 がたびたびある。
 勿論、交通事故で動けないとかであれば行きたくても行けないわけで、「行けない理由」次第では考慮もされるのだけれど、 わたしはどうしてもその「行けない理由」を口にしたくなかった。
 出かけなきゃ、と、思う。
 せめて連絡を入れなくちゃ、と、思う。
 早くしなきゃ、ちゃんとしなきゃ、何かしなきゃ。
 思えば思うほど、苦しくなる。
 私は、何を伝えたらいいだろう。
 明日は、出かけたくなるだろうか。
 明後日になったら、いつも通り元気になるだろうか。
 わからない。
 わからないまま、時間だけがどんどん過ぎていくのを感じた。


 とにかく今だけ私の事を忘れて欲しい。
 無理な話ではあるけれど、私の事を忘れて欲しい。
 何も聞かないで欲しい。

 そう思いながら、1日を過ごした。
 友人が、「自分もか?」と聞いた。
「自分もか? 自分も忘れたほうがいいのか? それなら1人にする。違うなら出来る範囲でとりあえずちゃんと自分が 支えてやるからそんな切ない事言うな。」
 真夜中に、ようやく鳴らなくなった携帯を開いたら、また別の人から「忘れてやるから頑張れ!!!」というメールが 来ていて、涙が出た。
 私の周りには、本当に優しい、優しい人がいる。
 私が私の殻に籠もった事で確実に迷惑をこうむった筈の人からのメールだった。
 嬉しいと思うのに、何を返したらいいのか分からなかった。




 インターネットというものは、使い様によっては危険な媒体で、世界中の誰もが見ようと思えばこのホームページを見る 事が出来る。
 私が書いた文章によって気分を害する人がいるかもしれないし、傷つく人がいるかもしれない。
 私は比較的、本音でこの日記を書いているけれど、それでも『那須洋美』という本名を晒している以上、いくつかの 『書けない事』も出てくる。
 例えば、友人と喧嘩をしたとする(あくまでこれは『例えば』。現在そんなことはとりあえずない)。
 どんなに友人の名前を伏せても、本人が見たら自分のことだと判って傷つくかもしれないし、私の身近な知人には 「ああ、○○さんと喧嘩したんだな」と知らせることになるかもしれないし、「○○さんそんな人なんだ」と私の主観を 刷り込むことになるかもしれない。
 だから私は、本名とは全く関係ないハンドルネームを使用して、匿名で文章を書くことがある。
 そこにぽろっと弱音を吐いたら、それを見た人からメールが3件来た。
 コメントも2件、書き込まれた。

「迷ったらその場に留まるのも大事な選択肢だよ」
「みんなねえ、あなたのことが大好きなんですよ。
 だから、待ってるの。
 元気で戻ってくることを。
 元気ぢゃなくても戻ってくることを。」
「那須ちゃんは自分で頑張ろうとしちゃうからなぁ。心配だわ。」

 私には、心配して欲しい、自分を労わって欲しいという気持ちはなかった。
 独りになりたかった。
 それでも、貰う言葉の全てが嬉しかった。
 嬉しいと思う、心から嬉しいと思う、けれども、同時に迷惑と心配をかけている自分が嫌だった。
 人は、迷惑をかけながらも生きていくもの。
 心配をかけてもいい時もあるかもしれない。
 でも、優しい気持ちに何も返せない事が重たく感じられて、返事のひとつも返せなかった。
 必ず、帰ってこようと思った。
 どんなにへこんでも、絶対帰ってこようと思って、ホームページのBBSに何事もなかったかのようにレスを返して、眠った。




 日曜日、一夜明けて、この日はひたすら眠った。
 眠りすぎてとろけそうなくらい眠った。
 何もしていないのに全身が酷く疲れていて、身体がまるで動かなかった。
 金曜日、金縛りにあったことをこの日記でも書いたけれど、あの感覚に似ていた。
 友人の舞台を観に行く予定が頭から離れなかった。
 その舞台を観たいという気持ちは、私の中に残っていた。
 私が沈んでいることを、何にも知らない人となら、笑って逢えるかもしれないと思って、友人にメールを打った。
 今夜観に行くねと打った。

 結局、時計の針が開演時間をまわるのを、ひとり部屋の中で眺めた。

 何かを「やらなくちゃ」と思っちゃだめだと思った。
 とにかく眠ろう。
 追い込まないで、ちょっとでも時間が浄化してくれるのを待ちながら、少しずつ楽しいことをみつけていこうと思った。
 実際この日からは、自分で「気を紛らわす」ことが少し出来るようになっているのを感じた。
 ダイビングのインストラクターのお兄さんにメールを打ったら返事が返って来た。
 実家の父からメールが来たから、返事を打ったら、またメールが返って来た。
 母とは電話もした。
 1日前は電話で人と話すことをあれほど避けたのに、何も知らない人とたわいもない話をするのは大丈夫だった。
 真夜中、ある友達から久しぶりに電話がかかってきて、少し迷ったけど電話に出たら、私の知らないところで私の存在を 巡って喧嘩が勃発していたという話を聞いて、また少し凹んだ。
 私の存在、行動によって傷ついた人がいたということも悲しいが、それはある意味で仕方がないことでもあった。
 ただ、傷ついたその人が吐き捨てた本音というのを聞いて、その内容もまた悲しかった。
 昨日は、貰ったメールに全く返事が返せなかったけれど、今日は「そうだ有難うと返せばいいんだ」と思った。
 とりあえず嬉しい気持ちだけ伝えたいと思った。




 月曜日、14時から歯医者の予約があったけれど、夕方ぐらいまでやはりベッドから動けなかった。
 地球の引力に負けないために必要なものは多分エネルギーと元気で、私は今両方とも足りないんだろうなぁとぼんやり思った。
 急に口内炎が2つも出来て、唇が荒れて表面が茶色くカサカサになっている。
 たった3日間で、何でこんなに口の中が荒れるのか不思議だった。

 夕方、シャワーを浴びたくなった。
 不意に浴びたくなった。
 夕べ、携帯電話のディスプレイに表示されるお天気マークは雨を示していたのに、少しカーテンを開けたら外は晴れていた。
 シャワーを浴びた。
 出掛けられる気がした。
 楽しいことをしに行こうと思った。
 楽しいことだけを探しに行こう。
 特にあてもなく、池袋行きの電車に乗った。



 人ごみの中は少し俯いて歩いた。
 誰かに逢うと嫌だなぁと思った。
 それなのに、いつもの癖で、私の足は気づいたらある百貨店の地下を歩いていた。
 友人がバイトしているので、時間が有るときはここを通って友人の顔を見ていくのが習慣になりつつあった。
 あっ、何やってるんだろう、と引き返そうとしたが、友人と目が合ってしまったので急いでいるフリをして手だけ振って 立ち去ろうとした。
 呼び止められた。
「商品が半端だから、よかったら持って帰って」
 暖かいお惣菜だった。


 今日の予定は、行けなかった14時の歯医者だけだった。
 明日も予定がある。
 明日の予定をキャンセルしたい旨を、今日なら伝えられるかもしれない。
 心配をかけないようにと沈黙することが余計心配をかけることになるのは、本当は痛いほど判っていた。
 詳しい事情を聞かないで欲しいときちんと伝えれば、聞かないでくれる人達ばかりかもしれない。
 池袋で、百貨店を歩きながらメールを打った。
 屋上まで上りきって、水着売り場とかスポーツ用品売り場とかを少し歩いて、またエスカレーターを降りるとき、メールの 返事が来た。

「どうした? (明日の件は)別に構わないよ。話して気がラクになるなら、自分か○○に電話しな。○○でもOK。 じゃあ、また」

 私は、有難うございますとメールを返した。



 百貨店を出て、サンシャインの方へ歩いた。
 サンシャインの中の、ダイソーと3コインショップに行こうと思った。
 歩いていたら、映画館の看板が目に入った。

 電車男。

 映画はいいかもしれない、と思って、映画館に入った。
 電車男にはアルバイトでエキストラ出演したので、あの表参道ロケが映画の中にどのように組み込まれているか興味があった。
 去年の夏マイブームだった、炭酸飲料の『マウンテンデュー』が自動販売機にあったので、久しぶりに買ってみた。
 丁度開演するところで、既に暗くなっていた座席に手探りで座ろうとして、握っていたおつりの500円玉を暗闇に落とした。



 上演開始から20分めぐらいに、私は映っていた。
 予告編が何分あったか計ってないから正確にはわからないけれど、予告編も含めると35分めくらい。
 ストレートパーマをかけるまえの映像で、くせっ毛がすごく私らしい雰囲気を醸し出していたけど、親兄弟でもわたしを 発見するのは難しいんじゃないかと思うようなカットだった。
 表参道の人ごみの中を電車男(山田孝之さん)とエルメスたん(中谷美紀さん)が初めてのデートで歩くシーンで、 山田孝之さんがアップになったときその左脇を歩いて通り抜けるカップルがわたし。
 一緒に歩いたのは、名前も知らない若いエキストラの人。
 私は、こげ茶色のフェイクレザーのジャケット。
 それから、ひきのシーン(遠くにカメラを設置して、電車男とエルメスたんを囲む人ごみ全体を撮ったシーン)にも一応 私がいた。
 電車男とエルメスたんのややうしろから、やたら大また歩きでずんずん歩いているバーバリーの水色のスカート履いてる 私。
 早歩きの人、ゆっくり歩く人、走る人、色々なタイプの人を演じて、と言われて、その早歩きの人をやったつもりだった けど、私の身長でその大また歩きは、改めて見るとあまりに滑稽だった。

 エルメスたんは中谷美紀似、という事実から、中谷美紀さんが起用されたということだけれど、私のイメージしたエルメス たんより少し落ち着いている様に感じた。
 清楚な感じはとてもよかった。
 ただ少し大人すぎる気がしただけ。
 後半、電車男の作成した資料に涙するところは、好感が持てた。
『H2』ではかくも爽やかだった山田君が、化けるなぁと思った。そして意外とヒゲが濃い。
 コンビニで、『20歳を過ぎたらブスは自分のせい』とか何とかいう本(タイトルうろ覚え)を見かけたことがあるけど、 極論だけど一理あると改めて思った。
 同じ山田君だけど、最初に変身したときの顔やラストシーンの顔は格段に違う。
 ラストのエピソードは映画オリジナルだけれど、私は好きだと思った。


 映画を観終わって座席の周辺を探したら、開演前に落とした500円玉がみつかった。




 映画を観終えて、お手洗いに行ったら、混雑していた。
 並びながら、ふと思い立って携帯を開いたら、メールが来ていた。
 さっき明日の予定をキャンセルした人からだった。



「お前に触発されて、自分も○○の稽古、復帰したから。
 今日も死ぬかと思ったよ(汗)。
 頑張れっ!
 お前に影響を受けて頑張ってるヤツもいるんだよ!」

 

 もうどうしようかと思った。
 映画館のトイレで、涙が止まらなくなった。
 帰りの電車の中も止まらなかった。
 悲しいのか嬉しいのかもうわからなくなった。
 ボディーにきた。



 こんなこと、とはまだ思えない、思えないけれども、こんなことのために、ただ悲しいだけの出来事のために、幸せを 失うのは嫌だと思った。


 この日記を書いている間にも、メールが1件来た。
 土曜日に、「忘れてやるから頑張れ!!!」と言ってくれたあの人だった。
 今日映画を観た、とその人のメールに書いてあったから、私も今日電車男を観た、と返した。
 個人的な仕事の内容とかも含むのでそれ以上はここでは書けないが、やっぱりただただ涙が溢れた。






 今日、嬉しかったこと。
 コンビニの店員さんの笑顔。
 無くした500円玉の発見。
 それから……。


 今は有難うとしか言えないけど、切り替えてすぐ元気とか出来ないけど、全部忘れないでとっておこうと思った。



 有難う。



 もう少し、時間を下さい。
 身勝手なお願いですが、何事も無かったかのように、何も聞かないでください。
 でもそんな事情でしばらくこの日記の更新はとめます。
 BBSへのレスは、できる限り、します。
 いつもどおり、話しかけてください。
 必ず、帰ってきます。
 無理しないで楽しい日記が書ける日が早く来ますように。


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  背筋で感じた、初・体・験 →2005年06月24日(金)


 あたい今朝、7時に目が覚めましたのん。

 バイト休みの日に早起きできると1日が長くていいので、
「おっ。よくやった今朝の私!」
 なんて思いながらぐーっと伸びをしたら、何者かに手を握られました。
 な、なにおう・・・!?
 私、一人暮らししてます。
 自分以外の誰かが家の中にいる筈がないんです!
 友人が泊まりに来ているという事実もないですし、この部屋の合鍵持ってる人は数名いるけれど、母が来るとも友が来るとも 聞いてないし。
 握られた手は、ざらざらとリアルなしわの感触まで感じ取れます。
 優しくふわっと握られている感じなのに、ふりきることが出来ません。
 というより、手に全然力が入りません。
 温度は感じないけれど、確かに人の手の感触。
 これはアレですか? 怪奇現象ですか??
 怖くなったものの、動くのは首から上だけで、身体を起こそうとしても身体は動かないの。
 もがいてもがいてもがいて、でももがいているのは意識だけで身体はびくともしなくて、ああこれは金縛り初体験かしら と思ってぎゅっと硬く目を閉じました。
 金縛りって、身体が疲れている時に起きるものだっていいますよね。
 科学的に解明出来ているものなはずですよね。
 でも、じゃあ私の手を握っているこの優しい手はなんなのでしょう。
 それに…うちのベッドはロフトベッド。
 床から1メートル60センチくらいの高さに私は寝ています。
 伸びをした手の先はすぐに壁。
 そこにヒトがいるはずがないじゃないですか。
 だからとにかく怖くなって、目をぎゅっと閉じたのです。何かを見てしまわないように。
 ヒトがいるはずがない、と思った瞬間に背中にぞぞぞっと風が吹き込まれたような寒気が走ったので、
「そういう風に考えちゃだめだ。これは○○さんの手なんだ。そうだ! 絶対そうだ!」
 一気に目が覚めたとはいえ、一人で大パニックに陥っている私は変なテンションで物事を考えます。
 ○○さんが誰の名前だったかは、ご想像にお任せします。後々考えると笑っちゃうくらい突拍子もない人選だったとだけ 申しておきましょうか(笑)。
 しかし、不思議なことに、それまで温度を感じなかったその手の感触が、「○○さんの手だ!」と強く思った瞬間に 暖かく感じられたんですね。
 でも握った手が離れるわけじゃなく。
 再び一瞬でも「怖い」と思うと、背中にぞぞぞっと風が吹き込まれたような寒気が走るんです。


「寝てしまおう、うん、それしかない」




 ぎゅうううううっと目をつぶって、手を握っている○○さん(←勝手に決め付け)のことをとりあえず一生懸命考え ながらじっとしていたら、いつの間にか眠っていました。








 目が覚めたら13時でした。゜(゜´Д`゜)゜。




 もう見て戴けましたか?? 
 いつもお世話になってます、カメラマンの杉山美法さんのサイトにて、前回公演 の写真がアップされています(杉山さんいつも有難うございます)。
 ステージスナップ役者ポートレート、併せてご覧ください♪


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  たわごと →2005年06月20日(月)


『記憶鮮明 東京編』こと、『ぼくの地球を 守って』【以下、ぼく地球(ぼくたま)】の連載終了(1994年)から10年。
 そうか10年か……中学生だったもんなぁわたし。
『ぼく地球 次世代編』こと、『ボクを包む月の光』 【以下、ボク月(ぼくつき)】の単行本第1巻が今月発売されました。
 前世ブームを巻き起こした大ヒット作品が復活ということで、期待やら不安やらを抱いてページを捲ってみたけれど、面白かったです♪
 面白かったけど、わたしが贔屓してた“迅八くん”の今は微妙でした(笑)。昔の面影がないよぅ。
 そう、わたしは迅八ファンだったのであります。グリーンウッドでは蓮川ファンという変わり者。
 変わり者で結構っ、誰が何と言おうと彼らの人間くささがいいのよぅ。


『なんて素敵にジャパネスク 人妻編』が発売された日の日記にも書いたけれど、なんジャパ、グリーンウッド(ここはグリーンウッド)、ぼく地球といえば 小学校高学年〜中学にかけてわたしがどっぷりハマった、わたしの中の“花ゆめ全盛期”なのであります。
 青春なのでありますっ(笑)。



 今日は何だかマニアックな話です。
 前回もそうだったような気が……。
 公演期間中あんまり漫画も読めてなかったからですね。
 わたし、将来の夢は漫画家か役者かというくらい、昔から漫画好きだったんです。
 初めてノートに漫画を描いたのはおそらく小学校2年生くらいの時。
 思いつきで描くだけだったノートに描く漫画でしたが、友人と交換するようになって、ちゃんと連載っぽく何冊も 続くようになったのは小学校6年生の時。
 初めてケント紙にGペンで漫画を描いてみたのは小学校4年生の時。
 文章を書くことにはなんだかんだ言って触れられているけれど、役者もやっているけれど、漫画はご無沙汰だなぁ。

♪やらなきゃいけないことだらけ、やりたいこと募るだけ

 今日も懐かしい大黒摩季の歌のあのフレーズが頭の中を過ぎったのでした。
 この歌が日記に出てくるのも何回目でしょう(笑)。成長しないわたし。




 いつもお世話になってます、カメラマンの杉山美法さんのサイトにて、前回公演 の写真がアップされています(杉山さんいつも有難うございます)。
 ステージスナップ役者ポートレート、併せてご覧ください♪


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  くわタン →2005年06月15日(水)


 桑田乃梨子さんの漫画を読みました。
 実家に大量にある漫画のうち、全作品東京に持ってきているのは桑田乃梨子さんの漫画 と谷川史子さんの漫画 と吉田秋生さんの漫画、 というくらい、私は桑田漫画が大好きです。
 中でも、今日読んだ『月間1年2組』と『真夜中猫王子』なんかは、忘れかけていた小中学生時代の恋愛なんかを思い出す ようななんとも言えないすっぱさがたまんないです(笑)。
 色々なジャンルの漫画を読みます。
 少女漫画も、少年漫画も、児童向け漫画も、青年誌も、レディースコミックも、ジャンル問わず読みます。
 年齢を重ねるに従って、昔は読まなかったレディースコミックも本棚に加わってきましたが、青臭い少女漫画には レディースコミックスにはない別のよさがあります。
 例えば『月間1年2組』や『真夜中猫王子』は恋愛モノとしてわたしは楽しんでいるんですけどね。

「ぬおおおお! 何だコレ! うあああああんもおおおおっ!!」

 そんな風にのたうちまわりたくなるような、臨場感(笑)。
 告白の仕方とかも所帯じみてるっていうか子供っぽいっていうか上手じゃなくて、でもだからこそ凄く入り込めます。
 登場人物がそこいらにいそうな親しめるキャラだからってのもあるんでしょうね。
 くわタン(桑田先生の愛称)はその描写が凄いです。
 ファンタジーなものとか、動物とかが沢山出てきますが、すんなり受け入れられます。
 基本的にはコメディで、大人が読んでも男性が読んでも陳腐に思えない少女漫画ですよ。

 残念なことは、くわタン作品は1巻完結モノや2巻完結モノが多いため、絶版になるのが早いということ。
 シリーズモノの方が長く書店に並びますよね、どうしても。
 大好きな作家さんの本は古本屋ではなく、きちんと本屋で買いたいのですが(古本だと作家さんに印税が入らないから)、 古本屋で揃えざるを得ないのです。
 こんなところで熱く語ってても仕方がないんですが・・・ああ・・・好きですくわタン・・・。



 ところで。
 明後日、踊るさんま御殿の撮影に行くかもしれません。
 今日事務所から連絡がありまして、お話を戴きました。
 今日明日中に、TBSの担当者が私の写真を見て審査し、明日出演決定か否かの連絡を貰うことになっています。
 TBS大好きの私ですが、今回はちょっぴり、審査通ったら切ないかも。

 あのね。

 ブサイクな女の役なんです(笑)。
 再現VTRのメインの役なのですが、出演条件は“ブサイクであること”または“ブサイクに化けられること”。
 マネージャーが電話の向こうで、「気分を害さずに、聞いて戴きたいのですが」なんて前置きをするから何事かと思いましたよ(笑)。
 審査通ったら、思いっきりグロテスクな那須を披露しましょうとも。
 え? いまのままで十分ですか? ・・・ああん┐(´ー`)┌



 二兎を追って一兎も得られないことになるのは避けたいので、考えた末、今月はボクシングジムに通うのを延期する ことにしました。
 今月は色々盛り込んじゃってますからね。
 明日はとりあえず、久々に水着を着てプールで頑張ってきます♪
 ライセンス取れるかな??


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  前髪 →2005年06月07日(火)


 いやー・・・。
『ヤミ金融VS東池袋幼稚園』の公演が6月5日をもって終了しました。
 そしてその間・・・随分長い間ホームページを放置致しました。
 パソコンの不調も勿論原因の1つなのですが、私自身のキャパオーバーもあります。
 一昨年8月から今日まで、やたらと濃い時間を過ごしてきたような。
 プライベートも、芝居も、ぜんぶひっくるめてディープでありました。

 今、私の中ではひと段落。そして、“新しいこと”に向かおうとしているところです。


 公演が終わって、オールナイトで打ち上げを行って、翌日は大抵寝て過ごします。
 今回の公演は『体調のペース配分』は上々で、翌日にも働けそうなくらい元気だったのですが、一応1日お休みをとってあるし、 公演終了後はうだうだすんのが醍醐味だろうと思って半ば強引にうだうだしました(笑)。
 公演終了後2日目の今日は、朝から洗濯を4回して(衣装やら公演期間中の洗濯物やらを片っ端から洗いました)、 集会室の予約に行って(早速明日の会議に使う部屋を予約しなくちゃでして)、美容院へ前髪を切りに行って、 ダイビングスクールへ寄って帰宅しました。
 前髪、元通り眉上ぱっつんになりましたヨ。
 一応、幼稚園児の母の役ということで、幼く見えないように前髪を伸ばしていたのです。
 前髪を伸ばしたのなんて小学6年生の頃以来じゃないかしら?


 公演後記〜終わった今だから言える裏話〜ですが。
 今回は、“大暴走”と評されたわたし自身の衣装について、ネタばらししたいと思います。
 今回私が演じたのは、イシダテルヒコの母親、イシダアユミの役。
 ソープで働きながら幼稚園児の息子を育てるシングルマザーです。
 水商売の女性を演じるのは、初舞台に続いて2度目でした。
 21歳になったばかりの頃、1度チャレンジしたことがあります。
 あの時演じたのは、風俗嬢ではなく“若いけれどやり手のバーのママ”という女性でした。
 美里(みさと)という女性。
 当時、美里役に選んだ衣装は、その年とても流行っていた、CECIL Mc BEEの レースニット(鮮やかな水色)とフェイクレザーの黒いスカート。
 それだけでは『発表会におけるピアノの先生』みたいになってしまうので(そんな雰囲気のニットだったの)その下にラメ入りキラキラの赤い 布(あの服のことをなんと呼べばいいんでしょう・・・カットソーとかタンクトップとか、そういう調度いい言葉がわからない んだけど、露出の多い布)を重ねて着ることによって、派手にしました。
 水色と赤の組み合わせは派手になります。
 サンタ服の女の子は出るわ、ドラッグクイーンは出るわで、赤やピンクや紫はもう選べず、じゃあ水色で派手にしようという 試みだったのであります。
 更に、安っぽそうなというか安くは無いかもしれないけど趣味の悪いド派手な宝飾品をじゃらじゃらつけて、網タイツを履きました。
 今思うとね、ある意味では正解だったと思うんです。
 品がなくて、つっぱっていて、花火のように眩しく陳腐でどこか脆い印象のただただ派手な衣装。
 21歳のわたしが精一杯背伸びをしている『らしい』衣装だったなぁと思うんです。

 そして今回。
 今度は風俗の最高峰、ソープ嬢の役でした。
 今回は、ソープ嬢だけじゃなく、キャバ嬢もいたんで、ちょっと悩みました。
 私演じるテルヒコの母の親友、千葉茜ちゃん演じるカズオの母ことスガワラツヅコがキャバクラ嬢。
 同じ風俗嬢だけれど、微妙に違う2人なのです。
 そこで、“わたしは普通にワンピースを着よう”と思いました。
 池袋をうろうろすることが多い私は、結構夜のお仕事の女性に遭遇します。
 彼女達が何が違うかって、別に何も違わないんですよね。
 会話を聞いていて職業がわかるだけで、見た目は少し派手めなお姉さん。ブランド物を身につけてたりします。
 プライドを持って明るく生きる“テルヒコの母”を前面に出したかったので、敢えて安っぽい場末な感じではなく 着飾っている感じの上品な衣装を、と考えました。
 そこでひとつ問題があります。
 わたしの身体的特徴の問題。
 ワンピースって、普段殆ど着ないんです。
 着ない理由はただ一つ。

十中八九、妊婦服に見えるから。

 悲しいかな、ダッフルコートやワンピースを着用しているとよく聞かれます。
 何ヶ月目ですか?
 畜生あたしゃ独身だよ子供なんていないよ、と思うんですが、そう見えてしまうのだから致し方ありません。
 ある部分にあわせると他の部分がダバダバだし、他の部分にあわせるとある部分が入らない。
 体の線が出ないものをざっくり着るしかないのですよ。
 ワンピースにするにしろ、あきらめてツーピースにするにしろ、ズングリムックリなテルヒコの母は私の考える 役のイメージとは違っていたので、極力今回は体の線を出す方向で考えました。
 そこで、あの薄い水色のワンピースを選んだのです。
 こんどは水色を上品な色として使いました。
 白いコサージュを腰につけて、黒いレースニットを羽織って。
 ネックレスもピアスもド派手にせず、シルバーのみにしました。
 このワンピースは、昨年の今頃、BEEMという事務所に登録する際、宣材写真を撮らねばならず、やみくもに探し回って やっとみつけた、体のラインに合うワンピースです(宣材写真はワンピースでと指定されまして)。
   どかっと出すかもっさり隠すかのどちらかだったら、今回は役柄的に出したほうが自然かな、と。

 次のシーンで着ていたセーラー服は、“変装をする”というト書きから選んだ衣装です。
 変装、と聞いたとき、3人の出演者が3人とも、“スカーフかバンダナのほっかむりに、サングラスに、トレンチコート” を思い浮かべたんですが、全員が同じ格好じゃつまらないのでどんな変装をしようかと考えました。
 どうしてもセーラー服じゃなきゃいけなかったわけじゃないんですが、“お店の衣装”を使っているという設定で、 実際私がセーラー服を持っていたのでセーラー服にしました。ブレザースタイルは笑猫亭でもやってますしね。
 ナース服とかだとその辺をうろついているにはあまりに嘘だし、幼稚園児や小学生になろうってのも無理があるし、 ばーちゃんはチィチィがやるし、てなわけで。
 まぁ、ペンギン役のときもみんなでセーラー着たんですけどね。

 そして、盗みに入った時のキャッツアイスタイル。
 全身タイツに限りなく近いレオタードは、自分で縫いました。
 伸びる布と糸と型紙をオーダーして、ミシンで。
 レオタードなど伸びる生地を縫う時、上糸も下糸も伸びる糸なのに、違う種類の伸びる糸を使わなきゃいけないらしく、 最初は戸惑いました。
 私の髪型がストレートで、茜ちゃんの髪型がくるくるパーマ、彩ちゃんの髪型がショートカットだったのですが、体型的に スラリとしている茜ちゃんが瞳ちゃんを、私がストレートヘアでありながら泪姉さんをやらせて戴きました。
 泪姉さんに思い切りなりきって体をはれないならキャッツアイ自体やめてしまったほうが いいのですが、その後あまりにシリアスなシーンに突入するので、全身タイツでその空気にちゃんと居られるかは かなり疑問でした。
 自分の生理は納得させられたんですが、客観的に全体をみることは難しく。



 2役やっていたこともあり、本番中はホントに着替えてばっかでしたが、楽しかったですw
 衣装写真も撮ったのですが、今夜は時間がないのでまたの機会にアップします。
 っていうか、カメラ接続するためのUSBケーブルが発見されたらアップします(ただいま行方不明)。



 時折、“わたしは今どこを走っているのだろう”と立ち止まってみることがあります。
 満足などしてはならない現状がそこにあり、立ち止まるたびに己の甘さを痛感します。
 けれども同時に、18歳+82ヶ月(24歳ともいう)のわたしは、もの凄く幸せな道を行けているのだとも感じます。
 その“幸せ”は、必ずしもイコール“楽しい”ではないようです。
 あの頃の自分より、今の自分のほうがちゃんと“生きて”いる。
 他人が生きていることを感じている。
 目標を見失っていないという大きな喜び。
 そんなさまざまな“幸せ”を私は踏みしめています。



 明日から始めること、これからも続けていくこと、全部ここに綴っていきますので、今後も見てやってくださいまし。
 とりあえず9日あたりからボクシングジムに復帰の予定でいます。
 時間がなくなったので今日はこれにて。これからお仕事であります☆ミ


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