それでも明日はやってくる | →2005年01月28日 |
我がために。 | →2005年01月24日 |
元気です(*゜▽゜*) | →2005年01月14日 |
打撲 | →2005年01月09日 |
かいがいしくいきましょう。 | →2005年01月08日 |
たいがいにせんとあかんよ | →2005年01月06日 |
憂鬱な帰省 | →2005年01月01日 |
・2004年12月 |
・2004年11月 |
・2004年10月 |
・2000年6月〜2004年10月(そのうち削除予定) |
それでも明日はやってくる | →2005年01月28日(金) |
芝居で食べてゆけないので、ご存知の通りアルバイターな私。 座長の高安様の紹介で、ある仕事を始めました。 簡単な接客販売なのですが、派遣なので、日によって配属されるお店が違います。 今日は優雅に丸ビルへ♪ この系列のお店ではスタッフはネクタイを締めることになっています。 私は勿論、今まで憧れてやまなかった(けれど着用する機会が無かった)ドラえもんネクタイで出勤。 ところが今日の派遣先は制服が違って、ネクタイは不要だといわれてしまいました。 この派遣の仕事の為にドラえもんネクタイを2種類GETした私。 そうか、派遣先が丸ビルだと、建物もキレイだし客層も悪くなくてGOODだけど、ドラえもんを首に締められないのか・・・と 少しがっかり(´-ω-`) ネクタイを外して、指定の制服に着替えました。 それでですね・・・あたしったら。 仕事終わって、稽古場付近にまで着いてから気づきました。 ネクタイと時計を、派遣先に忘れてきてしまったんですね。 ネクタイは大丈夫でしょう。多分床に落っこちてますが、捨てられはしないでしょう。 時計は、クリーニングに出すシャツのポケットに入れたままになってしまっているので、放っておけば洗われてしまいます。 ピンチです。 あちゃーーー。 でも今夜はどうしてもやらなければならない作業が山積みで、稽古場にも寄らなくちゃいけないし(今日は私の 出演しない作品の稽古の日なので、稽古スケジュール作成などの作業にあてさせてもらうことになっていました)、 もう一度丸ビルまで戻ってる時間はなさそうでした。 だからといって、明日同じ店に行くわけじゃないし。 「忘れ物しちゃったぁ。取りに行けるか微妙・・・」 別件でメールするついでに、高安さんにそんなことを漏らしました。 高安さんは、同じ派遣の仕事を経験しているので、世間話みたいな感覚でメールしました。 クルーの○○さんが高安さんに宜しくってゆってましたよー、とか、高安さんの仰ったとおり、いいお店でしたよー、とか。 そんなことを伝えるついでに。 そうしたら。 それから1〜2時間後に、高安さんからこんなメールが来ました。 「忘れ物! 無事救出♪」 件名が「忘れ物!」。本文が、「無事救出♪」。 そんな短いメールを見て、しばし考える私。 まさか。 まさかまさか。 自分の仕事の帰りに、わざわざ丸の内まで寄ってくださったんですか? 丸の内なんて、高安さんの自宅からも別に全然近くない場所。 そんなところへわざわざ? ネクタイも? 時計も? 両方見つけてくださったんですか? 店内のどこに忘れたとか一切伝えてないのに? 思わず電話すると、何だか眠そうなおっとりした声で答える高安さん。 「ドラえもんはすぐ見つかったんだけどよ。時計が中々見つかんなかったんだよ」 そりゃそうでしょう。 クリーニング袋の中に入れてあるシャツのポケットですもん。 今夜は稽古場に来る予定は無かったのに、「どうせそろそろ打ち合わせしないといけない事とかあるし」と、その足で ネクタイと時計を持って来てくれた高安さん。 ああ・・・高安さま。 おとーさああああああん。゜(゜´Д`゜)゜。 私の実の父は、実家岐阜にいるけれど。 東京の父、高安さま。 親子ほどの歳の差は勿論ありませんが、高安さんにどれだけ私達は助けられているでしょう。 高安さんが出演しない今回の公演、制作面で分からないことがあると高安さんに電話で聞いたりします。 「高安さーん、○○ってどうしたらいいでしょう?」 高安さんは丁寧に説明してくださいますが、かなりの確率でやがてこう仰います。 「ま、俺がそれやっといてやるよ」 舞台の制作面だけじゃなく、バイト先の忘れ物までお世話になるとはΣ( ̄□ ̄;) 高安さんに甘えてばかりじゃダメだって、あたいたち判ってるの。 判っているけど、まだまだ至らないの。 あたい頑張る。立派になるよ、おとーちゃん。 さて。 去年の『Hot☆Road Train Vol.1 クリスマスベッド』をご覧下さった方、覚えていらっしゃいます でしょうか。 あの時、オムニバス3作品の第1話として上演した『愛の結晶くん』を、『Hot☆Road Train Vol.2』 でも上演することになりました。 キャストも演出もまるで違うものになります。 あたい、これに出ます。 終盤のあのシーンも勿論あります。 山田とゐち氏の女性ファンに殺されそうなあのシーンが。 ト書き通り芝居が作られるかはわかんないんですけどね。 ゐっちゃんは別のプランを練ったりしてるみたいなんですけどね。 ゐっちゃんが拒むなら、奪いますよ、私。 『嫌がる人に無理矢理』っていうシチュエーションって燃えません? ・・・変態ですか? ごめんなさい。 判んない人は、追々わかってください(笑)。 ゐっちゃんのHP、『とゐち通信』で公表されるまでは、 と思って詳しく述べるのを控えているのですが、そろそろ私的にも稽古の詳細についてHPで触れたいところ。 もう1作品、私が出演するものがあるんです。 『日曜日はうっとうしい』という作品なのですが。 演出家のイメージを形にしきれない自分が切なくなりながら、奮闘しています。 ある意味でとても大きな役を貰ってしまったのです。 しかも・・・若干18歳(+78ヶ月)にして、今回はおばちゃん役です。 那須の素の中の所帯じみた田舎くさい部分がうまく引き出されますように・・・。 3話中、2話に出演という豪華で無謀な旅が始まりました。 私が出演しないのは、『776』という作品。 この3本が今回の演目です。 演出を担当してくださるのは、東京サギまがいの須間さん。 須間さんのつけてくださる演出は、本当に面白いのです。 出演者一同、稽古場で笑いが絶えません。 須間さんのおっしゃるイメージを、私の体で吸収しきれていないのが本当に悔しい。 イメージを体現する訓練を、日頃からHOTROADの自主稽古でもやっていましたが、やはりあの稽古の重要性 を痛感します。 稽古日数もさほど多くないステージ。 一回一回の稽古を大事に、『純情可憐な18歳のをとめ』である私が(白百合姫子と呼んでください)、どこまで化け られるか追求したいと思います。 ・・・真面目な文章の中にバカな文を織り交ぜると本気っぽくてイタイな(笑)。 ページトップに戻る |
我がために。 | →2005年01月24日(月) |
16日の夜、深夜の電話。 深夜って言っても0時半なんですけどね。 CEL−DE−KAIRO(旧こころね)の私設ファンサイトのチャットルームに2夜連続できよさんが現れ、今夜は久々に会話も出来たのでその余韻に 浸って何となーくぼんやりしているところへ、突然携帯が鳴りました。 かけてきたのはHOTROADの山田とゐち氏。 普段、ゐっちゃんとは電話で会話することがあまり多くないです。 しかも夜0時半。 何事かしらと思って、電話に出たわけです。 「ごめん、寝てた?」 「いや、起きてたけど。・・・・・・どうかしたの?」 「あのさ・・・今日の那須ちゃんのおっぱいの写真にさぁ・・・」 ええと。 この日、稽古があったんですよ。 稽古のあと、次回公演に向けてのミーティングも軽ーく致しまして。 ゐっちゃんが、その様子を写真に撮ってたんですね。 とゐち通信(ゐっちゃんのHP)に写真入りで今日のミーティングのことを載せるよ、 とゐっちゃん。 私、今日は寝坊してすっぴんで稽古に駆けつけたので、顔を撮られるのは切ないなぁと思っておりました。 ゐっちゃんはそんな私の気持ちを汲んでくれたのか・・・私の胸元の写真を一生懸命撮影していました。 私も・・・最初はカメラを避けていたのですが、何とかうまいショットで撮ろうと頑張るゐっちゃんの情熱には負けました。 気づくと撮られているんです。 彼は盗撮のプロになれるかもしれません。 そんな素質を感じるほど、彼はナチュラルにカメラを構え、スキをうまくつき、そして粘っていました。 最終的に、大量の失敗ショットを乗り越えて、手ぶれもせず綺麗に撮影出来たみたいです。 その写真の加工許可を求める電話だったのです。 つまりそのまんま載せずに、画像を合成したり文字を入れたり落書きしたりするということ。 一瞬の沈黙の後、思わず吹き出してしまいました。 「・・・そんな電話? 何事かと思ったじゃん!」 事態のくだらなさに、しばしクックッと笑いあう二人。 「こんな時間まで、お疲れ様」 思わず彼の労働を労ってしまった私です。 因みに、彼のこの日の日記が更新されたあと、うちのサイトも更新が放置されていたにも関わらず いつもの3倍来訪者がありました。 さて、そんなわけで。 ダンス稽古、たち回りの稽古と稽古盛りだくさんの今日この頃です。 次回公演にはダンスもたち回りも使わないんだけれども、役者としてステイタスを上げることは日々やらねばならん ということで。 次回公演『Hot☆Road Train Vol.2 春味(はるあじ)』に向けても始動しています。 こちらの詳細は、稽古場日記などに追々UPしていきますね。 人は1人では生きていけないといいます。 けれど、自分の道を歩けるのは自分の足に他なりません。 気負わず、潰れず、明日を追う。 ♪どんなに強い風にも 怯まない心でいれば ほら咲いた ほら咲いた 誇らしく咲けるんだ これは、23日にデビューを果たしたCEL−DE−KAIRO(旧こころね)の代表曲の一節。 この曲が最近、脳裏に浮かんでは消える。 私には何も出来ない。 どんなに頑張っても、私は私であの人はあの人だから。 何にも出来ないけれど、私の言葉はどんなに頑張ってもあの人には届かないみたいだけれど、頑張れなんて言葉には 何の効力もないけれど、あの人の命の灯火が今日も確かに灯っていることだけを願うしかないけれど。 明日は、私の大好きな人たちが、すこしでも今日より幸せでありますように。 苦しんでいる貴方に、伝えるべき言葉がわからない。 苦しんでいる貴方に、温もりを伝えることも出来ない。 せめて、想っていよう。 祈っていよう。 ページトップに戻る |
元気です(*゜▽゜*) | →2005年01月14日(金) |
打撲の日記で止まっていたので、ご心配をおかけしてごめんなさい。 HOTROADの某先輩が、「頭お大事に」というメールを下さったのですが、私個人に送ろうとして前回公演の出演者 全員に届くメールングリストで送ってしまったので、随分沢山の方から「大丈夫???」というお声を戴きました(笑)。 頭痛に吐き気を伴って、自分自身「怖いなぁ」と思いましたがそれは一晩だけで、翌日からはただ打った部分の痛みだけ が残りました。 真っ黒のアザが出来てしまいました。治るかなぁ・・・。 でも、ホントに大丈夫です。元気です。 たいしたことなくてよかったです。 暫く、バイトから帰ると疲れて寝てしまう日々が続きまして、日記やBBSを放置してごめんなさい。 パソコンは開くんですよ。開くんですけど、寝てしまうんです・・・。 年始早々フル稼働中。 ページトップに戻る |
打撲。 | →2005年01月09日(日) |
今日、9日に東京に戻ろうかと思いましたが、1日延期しました。 実家階段から転落。 アクリル製の室内履きが滑りやすいのです。 背中と腰をつよく打ちました。 階段を降りると正面の壁はガラス張りになっていて、ガラスの向こうはリビング&ダイニング&キッチンです。 そこには私以外の家族全員が揃っていたのですが、私が階段から落ちたことは誰も気づきませんでした。 ンゴゴゴゴゴゴゴゴ、ガッタン、と、地味に滑り落ちたのです(´-ω-`) リビングまで這って行こうとして、あまりに痛いので廊下でうずくまっていたら、リビングから出てきた弟に踏まれそう になりました。 弟は頭を蹴って、異物に気づいた模様。 廊下は電気がついていなかったので暗かったのです。 やがて、痛みは薄くなりました。 骨折しているとかひびが入っているとかそういうんじゃなくて、ただ打ち身という感じです。 母が私の腰に触って『腫れた』と言いましたが、場所が場所なだけに私にはわかりません(笑)。 あ〜、痛かった・・・。 夕食中、地震が来ました。 ゴゴゴゴゴゴゴ、と、聞いたこと無いくらいでかい地鳴りがしたので家族一同かなり動揺しましたが、地鳴りのあとに 訪れた地震は震度4くらいで、短くて大きな地震ではありませんでした。 地震だ、という父の言葉に、弟がガスコンロの火をとめ、母がストーブを消し、何故か私は祖母に張り付きました(笑)。 あ〜、びっくりした・・・。 食後、頭が痛くなりはじめました。 痛いよう痛いようとこたつでうめいていたら、母が怖い事を言いました。 「ビートたけしの家庭の医学の番組(『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学』)だったような気がするんだけど・・・、 しりもちをついただけで死に至ることがあるって言ってたよ、そういえば。脳が揺れてねぇ・・・」 普段よく転ぶけれど、こんなに痛かったこともあまりないのでそういう事言われると怖くなります。 番組HPをみても、該当しそうな記事がありません。 「あら、違う番組だったかしら・・・。」 結局わからないまま。 ただの打ち身だと思うけどね。 調べて安心したいじゃないですか。 頭痛が結構酷いのでBBSのレスは明日。 本日の父の名言。 喫茶店にて、スタジオジブリ作品のオルゴールアレンジが流れていました。 「あ、この曲・・・『虹のナニのタウシカ』だ」 ・・・なんですと? ページトップに戻る |
かいがいしくいきましょう。 | →2005年01月08日(土) |
かいがいしく働く娘。 いい響きだなぁ。 かいがいしく働く娘、だなんて、一度でいいから呼ばれてみたい。 ちょっとかいがいしくなってみよう。 そんなこんなで実家の家事をいつもよりはりきっていっぱいやったら、かいがいしい娘の称号を母から授かることが 出来ました。 うししし。言われてみたかった。 達成感は束の間ですね。 いざ授かってしまうとプレッシャーです。 称号を授かるのは簡単だけど、貫くのは厄介。 かいがいし続けなければいけないのです。 たまの帰省なので別段苦ではないのですが、あまりに 「ほらかいがいしい娘」「頼むよかいがいしく」「はいはいかいがいしいかいがいしい」 と連発されると 「もういいよ・・・」 という気分になります(笑)。 ボクシングで防衛戦を続けるチャンピオンのプレッシャーを思う今日この頃です。 勝ち続けなければいけないんですもの。 さて。 まもなく東京へ戻ります。 なかなか実家に長居できることってないので、今回は長〜い帰省で、こういう機会にしか出来ないことをやっています。 部屋を片付けてみたり。 東京に戻ったら、まもなく次回公演の稽古が始まります。 次回公演の詳細がだんだん決まりつつあるんですが、まだ発表できる段階ではないのでもうしばらくお待ちください。 こんな役になりそうだ、という途中経過だけは聞いたのですが・・・うわ〜あ! そんな役ですか! は、初めてです、あわわわわ。 そんな感じ(笑)。 ページトップに戻る |
たいがいにせんとあかんよ | →2005年01月06日(木) |
まゃぁ〜1本まゃぁ〜1本と、たゃいがいにせんとあかんよ。 今晩のおかずがわやになってまう。 鎌倉さんもいかんわぁ。うますぎるもん。 愛知や岐阜出身の人なら、昔から散々見ているであろう『鎌倉ハム』のCM。 鎌倉ハムのKウインナーという商品があるんです。 今日の日記冒頭の台詞を、カメラに向かっておばあさん(山田昌さん)が喋る、ただそれだけのCMです。 標準語に直すと、 もう1本もう1本と、いい加減にしないとだめよ。 今晩のおかずが無駄になってしまう。 鎌倉さんもいけないね。うますぎるもん。 こんな感じでしょうか(笑)。 31日に、スーパー三心へみたらし団子を買いに行った私(1日の日記参照)。 みたらし団子が売り切れていたため、次の焼き上がりまで15分ほど待つ必要がありました。 待っている間に、スーパーの店内で鎌倉ハムのKウインナーを発見したのです。 有名なCMは知っているけれど、Kウインナーは食べたことがない。 那須家の食卓に出たことがない。 まぁ1本まぁ1本と手が出てしまうウインナーの味はどんなもんでしょう。 気まぐれに購入してみました。 正月の間すっかり存在を忘れていたので、本日ようやく試食です。 魚肉ソーセージのようにプラスチックのケーシングで包まれた商品。 原材料は、豚肉とマトンです。 まぁ1本、まぁ1本と食べ続けるには・・・ちょっと脂分が多くてくどいかな・・・。 食べながら考えました。 今晩のおかずがわやになってまう、というフレーズ。 私は今まで「今晩のおかずにしようと思っているウインナーがなくなってしまう」と解釈していたんですが、 弟は「ウインナーを食べ過ぎて今晩のおかずが食べられなくなってしまう」と解釈していました。 今考えると、弟の解釈が無難かもしれません。 でも、どっちにもとれるんですよね。 気になって仕方がありません。関係者の方、教えてください(笑)。 ★1月1日★ 年が明けた1日の夜は、真由良ちゃんの実家へ除夜の鐘を突きに行きました。 東京で出会った真由良ちゃんですが、実家が岐阜県なのです。 情が深くて大好きな女性ですが、なんと僧侶の資格を持っています。 帰宅しても寝るわけにはいかず、私は年賀状で徹夜しました。 ![]() 元日に投函した分が大半なので、お手元に届くのが遅くなったかと思います。ごめんなさい。 2連徹で迎えた元日の朝。 那須家の親戚が我が家に集まりました。 満90歳を迎えても元気な祖母の子供は、うちの父を含めて4人います。 愛知蟹江のおばちゃん。大阪のおばちゃん。父。岐阜のおばちゃん。 それぞれ2人、5人、2人、3人孫がいます。ひ孫も4人います。 祖母の子、孫、ひ孫が全部揃うと、うちに26人集まることになり大変ですが、今年集まったのはそのうち16人です。 16人でも十分、大賑わいです。 限られた広さのキッチンで16人分の料理を作るのは困難なので、ここ数年は手巻き寿司が定番になっています。 一番年上の従兄弟が36歳。一番年下の従兄弟が15歳。 一番年上のY姉ちゃんは、私が幼い頃よく遊んでくれました。神田うの似の美人で、財布とか鏡とかオルゴールとか ぬいぐるみをもって来てくれました。現在は結婚して2児の母。4年前からアメリカで暮らしています。 その弟のH兄ちゃんは、弟が幼い頃よく遊んでくれました。 PCエンジンをくれたのはこのお兄ちゃんです。Hお兄ちゃんは31歳で、やはり二児の父。 猿岩石の有吉似で、31には見えない可愛い顔立ち(ごめんなさい)をしています。 神田うのと有吉弘行と聞くと似ていないように思えますが、二人はよく似ています。 Y姉ちゃんとH兄ちゃんは、美形姉弟だと思います。 今年の正月、Y姉ちゃんはアメリカにいるので来ませんでしたが、H兄ちゃんは子供と奥さんをつれて遊びに来ました。 幼い頃大人しい質だった私は、気軽に「H兄ちゃん」と声をかけることが出来ませんでした。 岐阜のおばちゃんに、 「うんとかすんとか言いなさいよ」 といわれて、それでようやく「うん」と言うほど。 勇気を振り絞って声をかけた事があるのですが、そのときその場にいた私の父が 「こいつ生意気やなぁ〜」 と言ったので、二度と呼べなくなってしまった記憶があります。 今思うと・・・多分、「H兄ちゃん」と呼ぼうとして「H君」と呼んだんじゃないかと思うのです。 周りの大人はH君と呼んでますし・・・そうじゃなきゃ、生意気だなんて言われないでしょうから。 そんなこんなで、私はH兄ちゃんと話すのは何となく苦手でした。 嫌いなわけじゃないんです。避けているわけじゃないんです。 ただ、何となく言葉をあまり交わさない。 バイクが好きでハーレーに乗っているとか、結婚したとか、就職したとか、大まかな情報は母や祖母、おばさんたちの 話を聞いて知っていましたが、H兄ちゃんについては知らないことのほうが多いです。 結婚前にギターを弾いていて、プロから声がかかるほどの腕だったと知ったのもつい最近。 今年の正月は、珍しくH兄ちゃんと飲みながら話す機会がありました。 自分も音楽の道へ進みたかったから、畑は違うけど夢を追っている洋美には頑張って欲しい。 H兄ちゃんは熱く語ってくれました。 頑張るよ、H兄ちゃん。 余談ですが、この日の朝、買出しを頼まれて弟とWing(31日にも訪れた百貨店)にいったら、 店内にこんな放送が流れていました。 まもなく餅つき大会を開催します。仮面ライダーも参加します。 仮面ライダーも参加します。 その言い方はなんだかシュールじゃないですか? 仮面ライダーの参加風景をみてきました。 ![]() ![]() ![]() ★1月2日★ 2日の夜は、高校の同窓会でした。 高校卒業の翌年は、夏にビアガーデンに集まりましたが、その後3年ほど音沙汰なく、一昨年の正月に復活しまして、 以来毎年正月に行っています。 元々女子の比率の高いクラスだったのですが、今年は男はたった一人でした。 彼は高校時代は殆ど話すことが無かったんですが、仲が良くても良くなくても、今となっては普通に会話が出来ます。 それが6年の月日なのでしょうね。 結婚した女の子もいますし、もうすぐ結婚する子もいます。他のクラスですが、オーストラリアの留学中にスイス人の トーマス(注:not機関車)と恋に落ち、一度はお互いの母国に帰るけれど結局スイスで学生結婚した女の子もいるようです。 ★1月3日★ 3日は、母の実家に行きました。 母方の祖父と祖母と、そば・うどん屋へ行きます。 岐阜に帰ってもうどんと密接な私です。 ★1月4日★ 4日昼は、ハウルの動く城を観にいきました。 父と母はよく二人で映画を見に行きますが、ジブリ作品は家族で観にいくことが多いのです。 倍賞千恵子が若い娘とおばあさんと両方演じたと話題になりましたが、あれは難しそうです。 若い娘とおばあさん、その2段階だけではありません。 若い娘と、ちょっとばあさんと、すんごいばあさんと、3段階はありますね・・・。 木村拓也は、木村拓也と感じさせないくらい馴染んでました。 4日夜は、高校の時仲の良かった友人と集まりました。 2日の同窓会は同じクラスの人だけの集まりですが、この日はまた別です。今年は来ませんでしたが、1つ下の学年の人も います。 行きはMyビツコ(うちのVitzの愛称)で弟に新岐阜駅まで送ってもらいましたが、帰りは久々に名古屋鉄道で 帰ってきました。 毎日当たり前のように乗っていた電車なのに、駅のホームに立つと何だか不思議な感じです。 懐かしいような、知らない景色なような。 いや、知らなくはないんですけど。 名古屋鉄道の好きなところのひとつ、2人がけの座席があるところ。 山手線じゃ乗客が多すぎて効率が悪いのでしょうが、友達4人とボックス席なんかを利用すると結構楽しいのです。 ![]() ★1月5日★ 5日は大須演芸場に行きました。 岐阜市に生まれ、岐阜県の南端で愛知県と隣接している羽島市で育ち、名古屋栄(矢場町かな)の若宮大通沿いの養成所 に3年通いながら、一度も足を踏み入れたことがなかった大須演芸場。 きっかけは、『新宿獅篭の会』に伺うようになったことです。 月に1回、新宿で獅篭さんの落語会が開かれているのに連れて行ってもらったのです。 獅篭さんや幸福さんが拠点としているのは名古屋の大須演芸場で、折角だから名古屋で是非聴いてみたいと思いました。 雷門幸福さんは私でも知っている『寿限無』でした。 これ、幼い頃本で読んだんです確か。 本当のオチは、寿限無が近所の友達を殴ってたんこぶを作るエピソードでしたよね。 突然幸福さんがドラゴンズの帽子を被って、 「寿限無が落合監督の下で4番バッターとして活躍しました」 と言ったかと思うと、いきなり着物を脱いで中日のユニフォーム姿で『燃えよドラコンズ』を歌いだしたのにはかなり 衝撃を受けました(笑)。 落語の続きはどうなるんだろう・・・脱いだ着物をもう一度着るんだろうか。 そんなことを考えながらみておりましたが、ユニフォーム姿でオチました。 余談ですが、幸福さんの本名はHOTROADの座長さまと同じなんですねぇ。苗字が。知りませんでした。 あまり多くない苗字だと思うのですが、 「滅多に会わないけど意外といるよ〜」 と高安さんが言っていたのを思い出しました。 岐阜の各務原出身というのが親近感沸きます。 雷門獅篭さんは、『初天神』をやられました。12月の新宿獅篭の会でもやられた噺です。 この日は、篭組(獅篭さんを応援している人を篭組と呼ぶです)のある女性と演芸場でお逢いする約束をしていました。 獅篭さんのHPのBBSなどでお世話になっている方で、実際にお逢いするのは初めてでしたが、彼女の方から 私をみつけてくださいました。 スイッと私の前に来て、笑顔で会釈。 この方がDさんかぁ! 笑顔が暖かくて素敵だったので、早速嬉しい気持ちになりました。 獅篭さんの出てくる直前に、Dさんが私にポチ袋を渡して小声で言いました。 「これ獅篭さんに渡してきて」 お年玉と書いたポチ袋。何かかさばるものが入っています。 「ええええ? 渡すんですか? ・・・ステージで?」 小声で聞き返す私。 大須演芸場は結構でっかいステージなんです。 席を立って、中央の座布団に座る獅篭さんにかけよるのはちょっと勇気が要ります。 Dさんを見ると、笑顔のまま私の膝の上においてあったコートを持ち上げて、さぁと促します。 てけてけとステージに近づいて、おどおどとポチ袋を渡して、席に帰ってきてDさんに聞くと、中身は数珠だという ことでした。 獅篭さんが数珠を集めていらっしゃるんだそうです。知りませんでした。 獅篭さんは笑顔で受け取ってくださいました。 12月9日の日記にも初天神について書きましたが、あの時と少ぅし、違うところがあったように思います。 Dさんに、大須演芸場について色々教えていただけて、楽しい1日でした。 また行きたいな。 ★1月6日★ 帰省してから毎日何か用事があったり切羽詰ったりしていて、ようやく落ち着いたのがこの日です。 祖母の散歩について行ってみたり、祖母と母のリクエストに答えてスーパー三心へ再びみたらし団子を買いに行ってみたり、 この日記の更新をしてみたり。 三心のみたらし団子はうまいです。 うまいけれど安いです。 1本50円で買える店はなかなかないでしょう。31日は5本で200円でした。 このスーパーへ来ると、東京との物価の違いを感じます。 いや・・・岐阜の中でも特別安いんでしょうけどね。 ![]() え? 国産缶コーヒーが、1缶40円ですか!? ![]() 因みに輸入物だとたまに7円とか15円とかがあります。 恐るべし三心・・・。 7日は、実家のMy Roomを整理しようと思います。お掃除Day。 今年の正月は色々と予定があって、いつもより長めに実家におります。 9日頃東京へ戻ります。 今年もよろしくお願いいたします。 ![]() ページトップに戻る |
憂鬱な帰省 | →2005年01月01日(土) |
笑えるくらい不運だった、12月30日〜31日。 2004年は色々ありました。いい事もありましたが、いつにも増して凹む事も多い年でした。 一夜明けて、明るい年が開けたと思い込んでおります。 あけましておめでとうございます。 年末年始あまりにバタバタしたので日記を更新出来ませんでした。 “笑えるくらいちょっと不運な年末”、何だか疲れました(笑)。 @Dの悲劇 何か文芸チックに言ってみましたが(笑)、D=ダンボールです。 帰省の際、1週間くらいの長い帰省になる為、毎度衣服などを宅急便で送ります。 2〜3日の帰省ならキャリングケースに入る荷物だけで帰りますが、同窓会が2つ3つ重なっている正月の帰省はまず 宅急便を利用します。 逢うたびに同じ服ってわけにもいかないですしね(笑)。 帰省は、おんなじ岐阜県出身の、HOTROADニューフェイス山田とゐち氏と同行する予定でした。 ゐっちゃんが新幹線の切符を二人分とってくれたのです。 とゐち通信に載せるための写真撮影をお手伝いするつもりでした。 新幹線の時刻は14時半よりちょっと前に東京発。 私は、12時40分にダンボールを持って家を出ました。 ダンボールは結構重いです。今年は年賀状を書く時間が殆どとれなかったので、年賀状用のスタンプやら喪中葉書やら 全部持って帰って帰る必要があったのです。 集荷サービスを利用できるとよかったのですが、私の家にいる時間と運送業者が家に来られる時間とが合わなかったので、 近所のコンビニから送ることにしました。 これが結構大変なんです。 通常歩いて7分くらいでいけるんですが、ダンボールを抱えて歩くとそれなりに疲れます。 更に、一応キャリングケースもごろごろひきずっているので、ダンボールは片手で持つことになります。 家を出てすぐの事でした。 バリバリバリッ 不意に、手元のダンボールが軽くなったんです。 大通りの横断歩道を渡りきったところで、ダンボールの底が抜けて中身がこぼれだしたのでした。 ギャーーーーーーーーーース! またですかぁ? 前にもダンボールがやぶれたことがあったような気が。 ダンボールってそんなに破れるもんなんですか? 特別重いものといったら、本2冊くらい。あとは葉書とか衣類とか、こまごまとしたものなんです。 慌ててタクシーを拾って、道路にぶちまけた荷物をタクシーにひとつずつ拾って乗せます。 この時の不運は風が強かった事。年賀葉書やハンカチタオルが風で道路へ飛び、回収が大変でした。 大通りなので、道路へ飛んでいってしまった葉書は車にひかれて何枚か回収不能でした。 横断歩道を渡りきったところでこの事件が起きたのは不幸中の幸いです。横断歩道の真ん中で起きていたら どうなっていたでしょう。 タクシーの運転手さんに、近所のスーパーSEIYUに向かってもらい、SEIYUでダンボールとガムテープを 手配し、荷物を新しいダンボールへ。 コンビニで発送を終えた時時間を確認したら13時38分になっていました。 自宅から東京駅まで歩く時間も含めて1時間はかかります。東京駅についてから新幹線の乗り場までも結構歩きます。 今いる場所が自宅ではないので多少時間が短縮されるとはいえ、新幹線の時間まで40分しかないようではかなりの 確率で間に合いません。 慌ててゐっちゃんにメールしました。 間に合わないかもしれない、と。 A♪最終電車私から遠くなってゆく・・・ タクシーの運転手と相談の上、地元駅を使わずに中野までタクシーで行った方が早いんじゃないかという話になりました。 13時55分の電車に間に合えば、ほんのちょっとだけ間に合う可能性があります。 駅に着いたのは13時54分。 大急ぎでタクシーを降ります。 落し物が無いかざっとだけ確認して、領収書は受け取らず改札へ。 新幹線の切符は東京都内のJR線から使えるのですが、荷物を開けて切符を取り出す時間はもうないので、ポケットに 入っていたSUICAイオカードで改札をくぐります。 ホームに駆け込んだのですが、ちょうど電車のドアが閉まったところでした。 離れていく電車。 次の電車だと、14時18分に東京駅着です。 「新幹線、14時20分台だったけど・・・正確には何分だったかな・・・」 広い東京駅、大荷物でダッシュが困難な私が新幹線に間に合う確率はどんどん低くなります。 B風とともに去りぬ 新幹線の正確な時間を確かめようと切符を出そうとしたら、 入れたはずの場所に切符がありませんでした。 おや? 1本乗り損ねたおかげで次の電車まで時間があるので、私は何度もキャリングケースの中をあさりました。 家を出るときに最後に確認したのは覚えています。 私の頭にいや〜な推測が浮かびました。 さっき。 横断歩道の端で飛び散った荷物はいまにも風に飛びそうでした。 飛んだものもあります。 タクシーがすぐにつかまったわけではないので、タクシーが通りかかるまでの時間、キャリングケースの蓋をあけ、 風に飛びそうなものを一時的にキャリングケースの中にはさみこみました。 モノを詰め込んで蓋が完全にはしまらないで少し浮いている状態でした。 あの時、キャリングケースの中の切符が風に飛んだんだとしたら? もふ〜ん・・・。 私はゐっちゃんにメールしました。 『厄日かな・・・切符なくしました。家を出るときに確認したのに・・・荷物ばらまいた時に飛んだのかな。 一応東京向かいますが18分着、危うい。時間何時だっけ? 切符ないから解らない。しかも荷物多くてダッシュ できないので最悪おいてってください』 ゐっちゃんからの返事はこうでした。 『出発時間は14時23分。厄日だね。日記のネタにさせて貰うよ。無くしちゃったなら新しく買わなきゃ いけないからどの道間に合わない。先に行くよ。ゆっくりいらっしゃいな。』 優しいお言葉です。゜(゜´Д`゜)゜。 ごめんよう・・・あたい約束守れないよ・・・。 23分発じゃ、どう考えたって間に合わないよ・・・。 ゐっちゃんの日記といえば、ゐっちゃんのホームページ『とゐち通信』。 とゐち通信のネタになるなら本望さ・・・ふふ・・・。 しかし現実には切符の紛失は重大事件。 あたし今金欠なんです。どえらい(岐阜弁)金欠なんです。 新しく買いなおす資金がないから、帰省を諦めようかとも思いました。 母に電話して、とりあえず予告していた新幹線にはのっていないので迎えに来るのをちょっと待ってくれと伝えます。 最寄り駅が自宅から徒歩40分という田舎なので、大荷物のときは迎えに来てもらっているのです。 とりあえず、片っ端からタクシー会社を当たります。 岐阜では、パトカーみたいなツートンカラーの日の丸タクシーや、白いボディにエメラルドグリーンの入った名鉄タクシー が主流かと思いますが、東京では黄色や濃い山吹色、オレンジ色のタクシーが殆どです。 私が乗ったのはオレンジ色のタクシー。 どの会社のタクシーなのか、わかりません。 タクシーの総合センターもあるのですが、電話し続けても混んでいてつながりません。 戦うこと40分。 諦めかけていた頃、私が使っていた公衆電話の隣の電話に暴力団組員風の怖い顔の男性が駆け込んできました。 「タクシーの総合センターを1件調べたいだけなので、ちょっと電話帳を貸してもらえませんか?」 と言うその人。 「ああ、それでしたら03−○×△△−0300ですよ。私もずっとかけているんですが、混んでいるみたいで繋がらないんです」 答えると、その人はメモをとりながら渋い表情。 「お忘れ物ですか?」 「はい、新幹線の切符を。」 「あー・・・。」 「そちらもお忘れ物ですか?」 「ええ、携帯電話を」 「あー・・・。」 互いの傷を舐めあうかのようにうなづきあう私達(笑)。 やはり、多いみたいですね。年末だからというのが関係あるのかどうかわかりませんが、みんな急いでいるのでしょう。 10台くらいの公衆電話が並ぶその場所で、 「東京駅まで乗ってきたんですが、領収書を貰わなくて、後部座席に忘れ物を・・・」 なんて、切羽詰った声で電話している人が結構いました。 結局私は、荷物を送ったコンビニに電話したのを最後に諦めることにし、その場を去りました。 Cずっとあなたが好きだった 帰るのをやめようか検討中。対応を決めたら連絡する。 そう母に告げたら、弟から電話がかかってきました。 新幹線代を今すぐ振り込んでやるからかえって来い。 いや、大丈夫よ、帰りの新幹線とか考えなければ手持ちがないわけじゃないから振込みはいいよ。 そう答えて、結局切符を買いなおして帰省することを決めました。 電車の切符をなくしたことは今までに数回あります。 買いなおさなきゃいけないことは知っています。 でも、新幹線の切符をなくしたのも、新幹線に乗り遅れたのも初めてでした。 ダメモトで、その辺をうろついていた駅員さんに聞いてみました。 「切符をなくしたら、買うしかないですよね?」 ロマンスグレーの髪をピシッとオールバックにした、渋めの駅員さん。 その整った顔をみのもんたのようにくしゃっと緩めたかと思うと、いきなり私の両肩を掴みました。 ビビる私。 「申し訳ないですなぁ、みどりの窓口で再購入してください。自動券売機より混んでますが、紛失した切符が出てきたときに 手続きを踏んでいれば払い戻しされますから」 私の両肩を掴んだのは、気の毒がっての行動だったみたいです。 え? 払い戻しされるんですか?? 私、知りませんでした。 聞いてみるもんだなぁ。 まぁ切符はみつかんないでしょうけど、気持ちの問題でちょっと嬉しいです。 早速みどりの窓口の長蛇の列に加わりました。 「15時36分発のやつが岐阜羽島に乗り換えナシでいけるひかりだけど、まぁそんな理由でみどりの窓口に並ぶから その新幹線は見送るわ。その次ののぞみで、名古屋乗換えでかえるから18時に岐阜羽島で」 母に電話して、ホッと力が抜けました。 帰省ラッシュの最中なので席に座ることは出来ないでしょうが、2時間立ちっぱなしで帰りましょう。 自由席の、比較的空いている1号車デッキに乗り込みます。 こだまで帰る予定をのぞみに変更したので、当初の予定より30分しか遅れませんでした。 ちょっとツイてなかったけど、とりあえず実家さ帰ってのんびりするべ。 新幹線に乗り込む時、携帯をホームと新幹線の間に落としかけたけれど、すんでのところで折りたたみ携帯の接続部分が ホームの端にひっかかって落とさずにすみました。 新幹線に乗り込んでしまえばあとはもう大丈夫でしょう。 ところが、不運はここで終わりませんでした。 出発寸前、アニメの絵が描かれた紙袋を持った男性がデッキに駆け込んできました。 すごい荷物です。これは、29日30日と行われていたコミケに参加した男性かなぁ、と思いました。 その男は、ポスターが沢山刺さった紙袋を、堂々と私の荷物の上に置きます。 混んだデッキの中でもぞもぞもぞもぞ動くので、押された私はガシガシ壁にぶつかってちょっといたい思いをしました。 更に男は、大声で電話を始めます。 デッキなので電話してもいいんですが、それだけ混んでいる中で遠慮せずに大声を出すのはどうかと思います。 芝居をしているときの三太さん(森川竜太氏)ぐらい、又は大塚大作くらいデカイ声なんです。 「おかあさん、帰るの遅くなったもんで、ポケモンに間に合わんでさ、ビデオに撮っといてよぉ。おかあさん、おかあさん ・・・・・・・ちゃーて、そのままのチャンネルでええもんで・・・おかあさん・・・・」 そんな内容。 話し言葉から、岐阜か名古屋の人なんだろうなというのが推測できます。 冬彦(仮名)はそんな調子で、10分ほど母親と電話しています。 年齢は20代後半くらいでしょうか。 えてして彼らは年齢不詳なので正確な年齢はわかりません。 アニメオタクに対して別に私は否定的ではないですが(アニメは私もずっとみてましたしね、高校1年まで)、混んだ デッキでは彼の大荷物はかなりの勢いで邪魔です。 せめてごそごそ動かないで欲しい。 ところが彼はどうも少し常識が欠落しているらしく、 「んー、たぁけ。んー、んー、たーけ・・・」 と、意味不明なことを口走りながら(たわけ、は、岐阜や愛知では時代劇の中だけでなく現代も使われている言葉です)、 おもむろにデッキに体育座りをしやがりました。 ただ立っているだけでも満員の車内。人の足を掻き分けて座られると、私達は益々狭いです。 やがて冬彦は、 「んー、気持ち悪い、んー、気持ちわる・・・んー・・・」 といい乍らその床にごろりと横になりました。 冬彦の頬が私の足にくっついて、気持ち悪いです。 私にとって、知らない人との肌の触れ合いはあまり嬉しいものではないのです。 しかも気持ち悪いと口元を押さえている冬彦。吐かれたらたまりません。 「んー、んー・・・っ」 彼のもらす低く小さい声が、私の足に伝わります。 疲れ果てました。 D線路はつづくよどこまでも 足もとに冬彦が眠っているせいで、変な体勢でギュウギュウ詰めになった車内。 名古屋で新幹線を降りたときには、全身ぐったり疲れていました。 こだまにのりかえて、一区間で目的地の岐阜羽島に到着です。 そのこだまはすでに自由席がガラガラで(名古屋で沢山人が降りたのでしょう)、私はようやく席に座ることが 出来ました。 全身が開放されるのを感じました。 思えば、不運だったなぁ今日1日。 でももう大丈夫。2005年は、なんか後厄から開放されていい年になるらしいから。 そんなことを考えながらそっと瞼を閉じ、疲れた体を休めました。 やがて新幹線が止まって、私は荷物をずるずるひきずりながらその新幹線を降ります。 切符はもうなくしていません。 切符を鞄から取り出して改札口に向かうと、見慣れない改札口がそこにあります。 岐阜羽島駅の工事をしているのは知っていますが、これはまたどえらい具合に変わったなあ。 一瞬そう思うのですが、工事したてにはみえないその改札口に疑問を感じて一度ホームへ戻ってみました。 ![]() 瞼を閉じただけのつもりでしたが、数分間落ちていたらしく、新幹線は岐阜羽島を越えて京都のひとつ手前、米原に 到着していたのでした。 ガーン。 E♪君が欲しい フッフー 迎えにきてくれた父を45分も駅で待たせてしまいましたが、父は怒っていませんでした。 母も、 「時間がかかった分美味しいおかずを沢山つくれたよ」 と、優しく迎えてくれました。 帰るところがあるっていいなぁ。 そんな事をしみじみと感じた私です。 ゆっくり休む暇はないので、気分を入れ替えて年賀状の作成にかかりました。 約215枚。 今年は一言コメントはかけません。 間に合いそうもありません。 インクジェットプリンターのへっぽこ速度では、印刷だけでも何十時間もかかります。 今年こそは早い時期に描き始めたかったのですが結局こうなりました。ううう。 30日は徹夜しまして。 31日の朝、プリンターのインクが切れました。 あちゃー・・・。 赤い色がきれたらしく、全体的に青い色で印刷されました。 こうなるとインク切れなのです。 「インク替えたばかりなのに・・・なくなるの早いわねぇ」 買い置きはない、と母は言います。 外は大雪。 雪の中、ヒビの入ったノーマルタイヤ(危ない!)のマイカービツコ(ヴィッツ)で清芳屋という文房具店へ向かいました。 ついでにカーマホームセンターに寄って電球買ってきてね。丸くないクリプトン球だから、カーマにしか置いてないの。 それから、みたらし団子とたこ焼きをスーパー三心で買ってきてね。三心が安いのよ。 今の時点で完成している年賀状も、郵便局で出してきて。 東京ではないのです。 こういうとき、田舎を実感します。 それぞれがいくらか離れていて、ちょっと時間がかかりそうだなぁと思いました。 カーマホームセンターに着くと、クリプトン球はみつかりませんでした。 クリプトン球というのは、お店のショーウインドウで使われる電球です。 那須家は少ぅし変わった作りの建物なのでリビングで普通に使っていますが、中々売っておりません。 カーマが唯一その電球を置いてましたが、他の店では取り寄せるほかありません。 リビングには、このクリプトン球がこれでもかと4つ並んでついています。 そのうちの1つが今切れているんです。 1つ切れてもちょっと暗いだけですが、元旦には来客もあります。 結局、代用品としてよく似たレフ電球というのを購入しました。 次は清芳屋へ。 ずらっとならんだインクの中で、キャノンの『BC−05』だけがまたもや品切れでした。 「かぁさん、清芳屋にないんやけどさ、このへんでインク売っとんのってどこやったっけ?」 東京ではないのです。 こういうとき、田舎を実感します。 母の指示通り、そこから数キロ離れた百貨店へ向かいました。 ずらっとならんだインクの中で、キャノンの『BC−05』だけが・・・以下同文。 「かぁさん、Wingにないんやけどさ、もう・・・県庁まで行かんとないやろか」 「県庁のGIGASか、長森やろうねぇ・・・」 「県庁やったらもう私は道を忘れてまったで、一旦帰るわ」 最後にたこ焼きとみたらし団子をスーパーで買って帰ることにしました。 ずらっとならんだたいやきや五平餅の中で、たこ焼きとみたらし団子だけが・・・以下同文。 「15分待ってもらえれば作ります」 言われるがままに待ちました。 買おうとするものが全て品切れ。 昨日の不運はまだ続いているのかしらん? インクを買ってくると家をでてから、雪道を走り、3時間半が経過していました。 しかし困りました。インクがないと印刷できないので、年賀状が出せません。 インクが欲しい。あぁ、欲しい。 頭の中はインクでいっぱい。 けれどインクはみつからない。 東京にある私の使っているプリンターのインクは年賀状用に大量に買い置きがありますが、実家のプリンターとは仕様 が違うので使えません。 結局父と母が県庁までインクを買いに出かけてくれて(インク切れは、やはり年賀状作成途中の母にとっても困りますから) 、ようやくインクが手に入りました。夜になっていました。 さぁ、印刷を再開しよう。 数時間後に、はたと気づきました。 あれ? インク替えたっけ? インクが切れたのでインクを買ってきたのに、インクを替えないまま古いインクで印刷していたのです。 でも印刷できたのです。 インク切れの症状が出たのに、インクが切れていなかったのです。 1日の苦労は何だったのでしょう。 年賀状は元旦に間に合いませんでした。 大変長くなりました。 どうやらパソコンが故障しまして・・・何度も何度も接続が切れて文章が消え、この日記をUPするのにも時間がかかり、 年が明けてしまいました(笑泣)。 2005年はいい年になるよね? なるよね?? こんなどんくさい私ですが、今年もよろしくお願いいたします。 ページトップに戻る |