◆2004年11月の日記◆
ヒトリジョウズ →2004年11月30日
力の限り 抱いて、抱いて、抱いて・・・ →2004年11月27日
甘いミルクティの香り →2004年11月26日
つれづれなるままに・・・ →2004年11月24日
あと1日・・・m(_ _)m →2004年11月22日
新しいタイプのポイントカードに
お切り替えはお済みでいらっしゃいますか?
→2004年11月20日
二黒土星 →2004年11月18日
♪こんな年齢だし 親も年だし
 あなたしかいないし〜 ねええ〜
→2004年11月16日
あたしも考える葦である? →2004年11月14日
♪いつかのメ〜リークリスマ〜ス♪♪ →2004年11月13日
こんにゃく生活。 →2004年11月11日



◆過去の日記◆
・2004年10月
・2000年6月〜2004年10月(そのうち削除予定)



  ヒトリジョウズ →2004年11月30日(火)


 11月最後の日記ですね。

 今日は、HOTROADの週に1度の自主稽古。
 稽古終了後、拓さんとゐっちゃん(山田とゐち氏)がカレーを食べてから帰ると聞いて、便乗して一緒にココイチに行きました。
 大好きなトッピングを適当に組み合わせたら、うずらの卵のフライ5個(だっけか?)と温泉卵という『たまご・たまご・ たまご』なカレーになってしまいました・・・。
 オーダーする時には何も考えず、フィーリングでオーダーしたので、カレーが運ばれてきてから失敗に気づきましたね。
 卵ばっかだ・・・・・・。あ〜、失敗した・・・。
 卵のとりすぎはコレステロールのとりすぎになると、昔から母がよく言っていたその声が脳裏を過ぎりました。
 でも美味しかったです。

 さて・・・普段、稽古場からは歩いて帰ります。
 歩いても、30分かからないくらいの距離なんですね。電車を使うと1時間半はかかります。
 バスを使うと5分でつくのですが、稽古に行くときは乗れても帰るときはもう終バスが終わってしまっています。
 夜道を30分歩きたくないときには、遠回りでも電車を使ったりします。
 電車を使っても、最寄り駅から12分は歩くので大差はないんですけど・・・商店街を抜けて帰れるので、車通りが多い だけの道より気分がラクなんです。
 今日は、池袋に寄りたい用事があったので電車にのりました。
 カレー屋さんからの流れで、ゐっちゃんや拓さんとそのまま少し話していたかったというのもあります。
 電車に乗って、一人で地元の駅に降り立ったとき、ふと桜の木が目に留まりました。

 桜の木。
 私のアパートから最寄のこの駅のそばには、桜並木があります。
 私が東京に来たときには既にそこに木は沢山あったのですが、それが桜並木なのだと気づいたのは上京してから2回目の春でした。
 桜が咲いていることは知っていましたが、『桜並木』といううつくしいものとして捉えていなかったのです。
 桜庭あつこさんが、『黄金の羊』の稽古中にアパートへ遊びに来てくれて、その時に気づかせてくれました。
「まっすぐ歩いて、突き当りの道を右に曲がってください」
「あぁ、桜並木のある道ね?」
 不思議です。
 岐阜でOLをしていた頃は、堤防を車で走りながら、どんなに急いでいてもその堤防沿いにある桜には毎年気づいていました。
 そのうつくしさを、家に帰ってから家族に語ったりしました。
 どうして上京してから1度目の春には、ただ「桜だなぁ」としか感じなかったのでしょう。

 今日、その桜の木を見ながらぼんやりと思ったのです。
「ことしの桜はいつ咲くかなぁ」
 思ってから気づきました。
 今年はもうあと1ヶ月で終わります。
 春なんてとっくの昔に過ぎ去りました。
 秋が終わって、冬を迎えている季節に・・・何てウスラトンカチな事を考えてしまったのでしょう。
 そういえば今年も桜は咲いていました。
 咲いていましたが、その季節に私はそれを歓ぶだけの余裕がなかったのかもしれません。
 どんな風に咲いていたのか、思い出せないんです。
 季節を感じるゆとりくらいは、持ちたいですね。


 帰宅後、そんな桜の木の回想から今年の春の私の記録が気になり、過去1年間のWEB日記を読み返してみました。
 わたしったら・・・なんだかんだと、色々考えながら生きているのねぇ・・・。
 人は悲しいくらい忘れていく生き物・・・なんて歌の詞にもありましたが、人間が忘れる能力を持っていて本当に よかったなぁと思います。
 1年前の私が書いた文章は、今の私には書けないもの。
 今の私が思いつかないフレーズの羅列だったりします。
 楽しいことも、苦しいことも、色褪せていくからこそ未来をみつめて歩いていけるんでしょうね。
 2004年は、私にとって過去にないほどキツい年だったようです。
 残した文章からそれが思い起こされます。
 私も、とうとう来年の夏に四半世紀ですよ。
 今月で、18歳と76ヶ月。分かりやすい言い方をすると24歳と4ヶ月です。
 いい出逢いの中、いい経験をして、いい歳の重ね方をしていきたい。
 私はもっともっと、自分を磨かなくてはいけないなぁ。

 桜の木の追憶が、そんな考えにまで及んでしまいました(笑)。
 私には幼い頃から空想壁があるんです。
 幼い頃・・・よく言えば、日常の中で楽しみを見つけるのが上手でした。
 今すれ違ったカップルの、チラッと聞こえた会話の一部から、その続きや二人の馴れ初めを考えるのです。
 気づいたら考えてしまっているのです。
 そして、広がりに広がった空想の果て、物語にオチがついて一人で笑ってしまう。
 怪しいといえば怪しいお子様。
 道端に駐車してある車に、しょっちゅう顔面からぶつかって行っていたのも、空想に耽りすぎて目の前の物が視界に 入っていないからです。
 流石に成人して、今の私にそこまでのうっかりはありませんが・・・・・・。
 先ほども言いました。よく言えば想像力豊かな、小さな楽しみを見つけるのが上手な子供。
 悪く言えば・・・

ひとり上手。

 考えるまい。
 想像力が豊かだったんだよ。
 それでいいじゃないか、私よ。


 気をとりなおして・・・帰宅後、漫画を読みました。
 エンジェル・ハートという漫画をご存知でしょうか。
 コミックス800万部以上を売り上げている、人気の作品です。
 エンジェル・ハートをご存知なくても、シティーハンターやキャッツアイと言われれば分かる方もいらっしゃるかと思います。
 キャッツアイ、シティーハンターの作者が、シティーハンターのパラレルワールドとして描いているのがこのエンジェル・ハートなのです。
 12巻と13巻を、買うだけ買って、本を覆っているビニールの開封もしないまま忘れ去っていたのを昨日部屋の整理をし ていて見つけたのです。

 第12巻、120ページ。
 キャリアウーマン、で、『鉄の女』と呼ばれているエリート警察官の野上冴子が一人でカラオケに行ってストレスを発散する と知った冴羽獠が、冴子をこう分析しているのも気になりました。

「痛い……すっかり一人上手が身に付いてやがる……」


 またヒトリジョウズですか。今日はこの単語とよく出会う日ですね・・・。

 一人でカラオケ?
 行った事ありますよ。・・・結構平気です。
 昔はそういう感覚なかったんですけどね。
 回数としては、あんまり行きません。最後に行ったのが去年の夏というくらいです。
 流行に関係なく、歌いたい曲を歌いたいだけ歌えていいですよ。
 一人でカラオケって、以前は抵抗ありましたけど。フロント通るの恥ずかしいな、みたいな。
 今って結構、平気だって人も多いんじゃないですかね?
 高安さんなんて待ち合わせの前にカラオケで仮眠とってから来たりしますし。
 オーディションの前にカラオケで思いっきり声だすこともありますし。
 HOTROADは深夜の読みあわせに使ったこともありますし(アトリエ公演の稽古で)。
 HOTROADはチラシの訂正シール貼りなんかの事務作業をカラオケでしたこともありますし。
 ナウなヤングはカラオケを有効に使うんです。

 ものすごい速さでそれらの言い訳(?)が脳裏を駆け巡りました。
 そして同時に、中島みゆきさんのあの曲が私の中でリフレインします。

♪ひとり上手と呼ばないで 心だけ連れてゆかないで
 私を置いてゆかないで ひとりが好きなわけじゃないのよ


 今寂しいのかしら。
 そんな自覚はないけれど・・・。
 やらなくちゃいけないことが溜まると、現実逃避したくなったりもするものです。
 多分、どっちかってーと・・・それですね。

 岐阜出身・山田とゐち氏が、今日岐阜の味『富有柿』を一個くれました。ゐっちゃんの実家から届いたものだとか。
 母も先日、一個送ってきてくれました。
 柿が2個。
 こんな夜は柿でも食べますかね。




☆追伸☆


 aquaquaさんのブログを読みまして。
 ブログ内で紹介されていた、 エッチ度チェックスケベ度チェックむっつりスケベ度チェック なるものにトライしてみました。

 わたくしの、診断結果はこんなんでした。
▼エッチ度▼


▼スケベ度▼


▼むっつりスケベ度▼


 最近どうやら母も見てくれているらしいこのサイト、詳しいコメントは控えさせて戴きます(笑)。
 何だか面白いなあと思ったのでここでも転載してみました。


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  力の限り 抱いて、抱いて、抱いて・・・ →2004年11月27日(土)


『こころね』ファンなら、今日のタイトルの由来がお分かりですね。
 接吻。
 私が大好きな曲の、歌詞の一部です。
 旧サイトの日記にはやたらめったら出て来ていたこころねですが、サイト移転したのでもう一度こころねについて 書きたいと思います。

 こころね、は、みうらしょう(Vo,Kb)と清永充美(Gt)の二人からなるユニットです。
 池袋西口を活動拠点にしている人は、彼らを見かけた経験のある人も多いかと思います。
 池袋ではとっても有名なのです。
 2002年の夏に、しょうさんが池袋西口公園にて1人でストリートを始め、2003年3月にギターのきよさんと出会い ます。
 最初、きよさんはしょうさんのサポートギタリストとしてストリートに参加しました。
 しょうさんのラブコールを受けて、きよさんはサポートからメンバーへ。2003年の11月から『こころね』というユ ニット名で改めて二人で活動開始します。
 そして、来年――2005年1月23日に、ユニット名も新たにCEL−DE−KAIRO(セル・デ・カイロ)とし、全国のCDショップに 彼らのデビューアルバムが並ぶことが決まりました。
 元T−BOLANの森友嵐士さんがプロデューサーです。

 私が最初にみうらしょうさんを見たのは、2003年1月15日。
 舞台『黄金の羊』の前に、東京芸術劇場を下見に行った帰りでした。
 キテレツ大百科のEDテーマソング『はじめてのチュウ』を切なげに歌い上げていたのを覚えています。
 それから、舞台の稽古が始まって、忙しくてなかなか池袋で下車することもなくなって・・・舞台が終わって。
 次にしょうさんを見たのは、2003年5月22日。
 池袋駅西口でした。
 しょうさんが歌っていたのは『エール』。この時しょうさんはすでにきよさんと出逢って二人でストリートをしていた のですが、たまたまこの日は一人で歌っていたようです。
 この、『エール』という曲にガツンとやられた私は、その場で2日後に迫ったライブのチケットを買ってしまったのでした。
 しかも2枚。
 一緒に行く相手がいるわけでもないのですが、どうしても2枚買いたかったんです。
 結局、HOTROAD座長の高安さんが以外にも(?)ライブ好きで(でもパンク系がすきらしいのでこころねとは色 が違うのですが・・・)、高安さんと一緒に原宿RUIDOライブに行くことになりました。
 このライブではじめてきよさんを拝見しました。
 最初の1月から数えると、もう2年になろうとしています。

 2年。
 短いようで、本当に色々な事がありました。
 私自身は・・・確かに大きなものを得たし、確かに・・・いくつかのものを失った時間でした。
 彼らも進化し続けました。
 アレンジが、歌詞が、歌い方が、ストリートのスタイルが、どんどん変わっていき、ファンは増え続け・・・とうとうデビュー が決まりました。
 それだけの時間になり得るわけです・・・2年。
 さぁて、私は2年間で何か変わったか? 何が変わったか? どれくらい変わったか?

 2003年の6月27日、みうらしょう名義で『心』というアルバムが発売されました。
 2003年11月に『こころね』を結成し、2004年2月22日に『こころね』というアルバムが発売されました。
『心』は、『こころね』発売と同時に販売停止。
 そして、『こころね』も、いよいよ・・・下手したら明日にでも、販売停止になるようです。
 3000枚売り上げまで、あと数枚。その数枚がなくなったら、完売。
 次のアルバムはCDショップで、『CEL−DE−KAIRO』としてのリリースになります。
『こころね』完売目前を聞いて、今夜こんなに振り返ってみてるわけです。
 そぉかぁ・・・『こころね』アルバム発売からもうすぐ1年なのかぁ。
 さまざまな思い出とともに思い出されるあの頃。
 あの曲を聴くたびに、ライブで泣いたっけ。
 あの曲を聴くたびに、ライブで泣いていた人がいたっけ。
 私、自己陶酔は得意ですが(笑)、ライブで泣いた経験ってこころねのライブだけなんです。
 悲しいときに悲しい歌を一人で歌って泣けたことはあるけれど、誰かが歌った歌に心を動かされたことはなかったんです。
 ただ悲しみに浸るんではなく、前向きな気持ちをくれるこころねの曲。
 これから、もっと沢山の人の心に触れるんですね。
 しかし・・・ストリートでの手売りで、1枚2000円のCDを1年足らずで3000枚って・・・・・・凄い。
 チケット売り上げとかも足して年収換算して、立派に生活できそうだから・・・プロだなぁ。
 好きなものでご飯が食べられるなんて凄いことです。


♪もうどうなったっていい あぁ 愛しい
 戻って返しては やまないキスを・・・

 今宵は『接吻』を聴きながら眠りましょう。


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  甘いミルクティの香り →2004年11月26日(金)



ばっちーーーーーん!

 強烈な音がしました。
 平手打ちをした母。泣き出してしまった女の子。
「ええっ? 何で今殴るわけ?」
 唖然とする私。

 道を歩いていてたまたま見かけた光景です。
 信号のない横断歩道を渡ろうとしていた親子。
 その親子の右方からトラックが近づいてきていたので、女の子は横断歩道の手前で立ち止まりました。
 横断歩道を渡るときは、車が来ないかをよく確認して、来るときは一旦立ち止まる。
 正しい行動ですよね。
 そこでですよ。
 そこで殴ったわけです、この母親。

「お母さんは急いでいるのよ!」
「でも、車来てたから・・・」
 ばっちーーーーーん!
「手を挙げてたんだからこっちが優先なのよ! 何でわからないの! 馬鹿な子ね!!」
 えええええ、って感じでした。
 確かにね。歩行者は優先です。トラックの方が止まるべきです。運転免許を持ってる人なら分かってることです。
 でも、子供にそれを解れって言うのは難しいんじゃないかなぁと思います。
 教えるのはいいんですが、子供が間違ったことしたわけでも何でもないのにぶたなくても、って。
 まだ幼稚園ぐらいかなぁ。女の子。
 一番大事な事って何ですか?
 交通安全を、口をすっぱくして子供に伝えるのって、子供の命を守りたいからじゃないんですか。
 車が来たら、とりあえず止まるのは悪いことじゃないと思うんだけどなぁ。
 手を挙げたから大丈夫、って横断歩道を渡って子供がひかれてしまうよりずっといいし・・・子供に、その絶妙な判断 を子供にしろって言うのもね。
 とりあえず止まる、そこまではいますぐ教えないと危ないですけど、そこから先の応用編は、ゆっくり教えていけばい いことだと思うんです。
 急いでいたにしても、違う言い方は出来なかったのかしら。
 人様の家庭に口を挟む気はさらさらないけれど、実はこれでこういう親子見るの2組目で・・・考えてしまいました。



 さて。
 今日、『ママは女医さん』が最終回を迎えてしまいました。
 昼の連ドラです。
 公演終了後、久しぶりに昼のドラマなんかを観ましてね・・・気づいたらこのドラマにハマってしまいました。
 バイトもあるので毎日観ることは出来ず、久々にビデオ録画を毎日しました。
 まさか、直子さんと本間先生の結婚式が最後のシーンになるとは思いませんでしたけど・・・ブーケはちゃんと奈津子に 渡りましたからね♪
 奈津子と浩介も・・・・どうかな。
 さやかの父親は館林ただ一人、という終わり方だったしなー。
 ここ数日、番組テーマソングの『ミルクティ』がいつも頭の中でぐるぐるまわっておりました。
 みどりさん、いー性格してましたねぇ。あそこまで性格ねじまがると小気味いいです。
 どなたか観てた方いらっしゃいます???


 昨日は、新宿2丁目に参りました。
 高安さん、智香ちゃん(中山智香子)、おっきー(沖森健一)、私。新宿笑猫亭に出演したメンバーです。
 すごく楽しかったです。
 詳しく書きたいのですが、今日はこれから出かけなければならないのでまたあとで・・・。
 今夜は、新宿笑猫亭出演メンバーが久々に集います。
 それでは行って参りますv


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  つれづれなるままに・・・ →2004年11月24日(水)


 やっと日記の更新が出来ます。
 あれを書こう、これを書かなきゃ・・・色々溜まってんのよわたしも。
 鬱憤? 悩み?
 いいえ。

ネタが。

 溜まりすぎてもうかなり忘れちゃいました。
 私には、日常起こった出来事を頭の中で文章化して記憶する癖があります。
 中学時代からネタ帳と称するメモ帳も持ち歩いていますが、面倒くさがってメモを取らず忘れてしまうことが多いです。
 ネタ帳はいいですよ。
 色んなことの役にたちます。
 えーとたとえば・・・私の場合ですね・・・夜日記をつけるときにその日の出来事をあますことなく書けます。
 ラジオをよく聴いていた中学〜高校時代は、葉書の投稿にも役立ちました。
 養成所の恩師からの年賀状は、毎年小さい字で昨年一年間の出来事を全部書き出して送ってくださっていますが、駐禁を 年に何回とられたかなど結構楽しめます。
 あと、今日の買い物メモなんかにもつかえますね。
 外出前に、買うものやすますべき用事を書き出すのも、このネタ帳に書いちゃっています。
 HOTROADの自主稽古では毎回自分のキャッチコピーを発表していますが、それもここにメモってます。
 でも、ホームページの日記の内容って欲張って詰め込みすぎるととてもまとまりのない内容になるんですよね。
 つれづれなるままに書きたい事を書きたいだけ、特に推敲することなく書いているこの日記ですが、それでもたまに 「読みづらいかなぁ」と思います。
 それでも書きたい。
 全部書きたいのです・・・。


 閑話休題。
 今日はこれを書かねばなりません。
 巷を騒がせている、あの話題です。

ドラえもんキャスト総入れ替えについて。

 一番最初に私にコレを教えてくれたのは三組こと三太さんこと森川竜太氏でした。

 あの日私は、バイトからふらふらの足取りで帰宅。
 便利なポイントカードを紹介・おすすめする単発バイトだったのですが、3日目の最終日の午後喉の痛みを覚えました。
 声を出す仕事です。喉が痛いと、声を出すのは辛いですよね。
 百貨店は晴れた日の日曜日で大混雑し、15時半からの午後休憩が18時になってしまいました。
 休憩室に行けた18時頃には、足の関節の痛みとダルさ、体温の上昇を感じていました。
 体の節々が痛むとき、私は大抵高熱を出しています。今日も絶対高熱だ、と確信しました。熱さでぽーっとしていたんです。
 幼い頃から体は結構丈夫で風邪はほとんどひかずひいたら1晩で治っていた私です。
 高熱は殆どありません。
 一人暮らしはどうしても食生活が変わるもの。
 サプリメントで補うものの、毎日何品もおかずを作ったりするには時間的にも金銭的にも余裕がなく、いくらか体力は 落ちています。
 それでも殆ど、高熱は出さないです。
 疲れているんだなぁ。
 やだなー、折角バイトは今日で終わって明日は休みなのにな・・・。
 夜は落語を聞きにいきたいなぁとか思っていたのになぁ。
 でも、仕事には支障ださないように声を張って頑張りました。なんだか調子がよく、契約件数も前日の倍以上。
 頑張った甲斐がありました。
 帰り道、体がダルくてとにかく歩くのも嫌でしたが、そんな中気分が晴れる出来事がありました。
 元HOTROADの水木さんとバッタリ。
 水木さんは大好きで、少し話が出来て嬉しかったです。

 この日はいい天気でしたが、私の帰り道は狙ったかのような強いにわか雨。
 歩くのはしんどいし、雨だしで駅から家までの15分が果てしなく感じ、弱気になって実家に電話しました。
 風邪ひくと愛に飢えるものでございます。
 電話に出た母は何だか電話を切りたそう。 「今ちょうど石原裕次郎の話観てるのよ、『弟』っていう」

 更に寂しい気持ちになりました・、λ チェ
 ・・・いやいやかあさんごめんなさいね、早く言ってくれればまた改めたんだけど。

 帰宅して熱を計ってびっくり。
 38.7℃・・・けっこーな熱じゃござんせんか。


この時です。

 追い討ちをかけるように、ドラえもんのキャスト入れ替えのニュースが。
 がび〜ん・・・(´・д・`)
 これは、と思い、この日記に思いのたけをぶちまけようと思ったんですが、帰宅と同時につぶれてしまった私はもう キーボードに向かうことが出来ませんでした。
 家に帰ると安心するんでしょうね。
 11時に帰宅してから、夜3時まで、動けなかったんです。
 薬飲まなきゃいけないから眠る前に薬を・・・そして着替えて電気を消して・・・思うものの、現実の私は動かずに 丸くなっているだけ。
 何度か眠るのですが、クレジットカードの申し込み用紙に記入している夢だけをひたすら観るのです。
 もう終わったんだからそんな夢みなくていいのに・・・。
 3時頃、ようやく薬を飲んでメイクを落として着替えて電気を消して眠りました。

 こうしてわたしが潰れている間に、目の前に置いてあったパソコンのデスクトップではげんちゃんがドラえもんの キャスト交代を私に知らせようとチャットで話しかけてくださっていました。
 前のバイト先の友達から、携帯にメールが来ました。
 高校の同級生からも、那須さんにメールしなきゃって思ったって携帯にメールが来ました。
 PCの方にも、2件メールが来ました。
 私の風邪を心配して父が私に電話をくれたのですが、父もこう言っていました。
「おう、見たぞTVで。ドラえもんが変わるって」

ありがとうございます。

 ドラえもん好き=那須洋美だと思ってくださっている方の多さに感動いたしました。
 実際、キャスト交代はショックでした。
 ドラえもん役の大山さんは、まさにドラえもんだと思っています。
 大山さんがドラえもんだと言うと失礼にあたるかもしれませんが、ドラえもんは大山さんなのです。
 地声であの声。
 代わりなんて考えられません。
 私の部屋にあるドラえもんグッズの中には、大山さんの声が吹き込まれた商品が数多くあります。
 ウーフーフーフーフー、というあの声が私の脳裏を過ぎり・・・いえ、往復しています。

 サザエさんのカツオが代わったときも、ちびまるこちゃんの友蔵じいさんが代わったときも違和感を感じました。
 ドラえもんも、あのときのように違和感を感じるでしょう。
 カツオも友蔵じいさんも、今となっては慣れてしまって受け入れられていますが、ドラえもんもそんな風にいつか 受け入れられるでしょうか。
 否。
 どうしても私はそう思ってしまうのです。
 私が愛してるのは、大山さんのドラえもんなんですもの。

でもね。

 ドラえもんのキャストは、平均年齢が高いです。
 数年前、しずかちゃん役の役者さん(仕事を休んだことがなかった)が、腰痛でお休みしたなんて話も聞きました。
 半世紀以上の年齢を超えて小学生を演じているわけであります。
 24歳の私が18歳と年齢を詐称するのも大変なこの世の中において、すごいことであります(あれ? 論点がおかしいぞ??)。
 あってはならないことですが、5人のメインキャストのうち一人が欠けてしまうということもいつかはあり得る事です。
 人間、生きている以上常に病気や死とは隣り合わせですが、どうしても歳をとるとその確率はあがりますからね。

ドラえもんだけが代わったら?

 たとえば大山さんは2001年に直腸がんの手術を受けられています。
 手術その他の理由でドラえもんだけが交代ということになるよりは、5人一気に代えてしまったほうがなじみやすいのかな。
 そう思えば、新しいドラえもんをまとうという気持ちになります。
 全部代えることによってまったく新しいものとして再出発できる、そういう選択なんじゃないかしら。
 ドラえもんが日本テレビで放送されていたのは有名ですね。
 今のテレビ朝日での放送が始まる前は、野沢雅子さんがドラえもん、現のび太役の小原乃梨子さんがしずかちゃん、 なんと現スネ夫役の肝付兼太さんがジャイアンを演っていらっしゃったりとかしたわけです。
 新しいほうに馴染んでいる私たちにはちょっと違和感。
 でも、その初期ドラえもんのことを別に「あれはドラえもんじゃない!」とは思わないですよね。
 ドラえもんの歴史の一部なんです。
 これからもドラえもんが続いていくことのほうが私には嬉しい。
 長い長いドラえもんの歴史の、次の世代が始まる。
 そう考えたいですね。


 ここまで書いたところで、玄関のチャイムが鳴りました。
 時刻は、日付が変わる直前の23時50分すぎ。
 おやぁ?
 本日チャイムが鳴るのは2度目で、1度目は郵便局からの速達でしたが、さすがにこんな時間に郵便局はないでしょう。
 恐る恐るインターホンに出ると、
「あの、隣の○○ですが」

うわ〜い♪

 私のアパートのお隣の部屋には、とっても素敵な方が住んでます。
 サイト移転まえのこのサイトのはるか昔の日記にも何度も出てきてますこのお隣さん、本当に親切で、どんくさい私は お世話になりまくっております。
 3年前、鍵を挿しっぱなしにして出かけてしまったのを見つけて、鍵をとっておいてくださったのがご縁の始まり。
 海外旅行のお土産は2度ほどいただきました。
 とうもろこしを戴いたこともありました。
 チャイムの主がお隣さんだと分かって急に嬉しくなった私が玄関を開けると、ケーキの箱を持ってたっていらっしゃいました。
 多くもらったが、生ものなので消費期限までに食べきれないとおっしゃるお隣さん。
 ありがたく戴きました。
 有難うございます。なんだかあったかい気持ちです。


 さて、3日間に渡ったクレジットのバイトで分かったことがあります。
 街角で、クレジットカードのキャッチの方に話しかけられると、なるべくはっきりNOを伝えて通り過ぎるようにします。
 このカード社会において、カードがないと不便なこともありますね。
 カードの番号でのみ契約できるケース。及び海外旅行。
 でも、その中でカード犯罪も起きています。
 カードをやたらめったら作る必要もありません。
 また、キャッシングはしないに越したことはありません。
 街金などで借金すると、まとめてドカンと返さないとずうっと返せないまま毎月利子を払い続けることになるといいます。
 そんな意識からか、なんとなーく罪悪感があるんです。カードをすすめることに。
 何にもおびえる必要はないんです。
 悪いものをすすめているわけじゃないんです。
 しつこくすすめることもぜんぜんやってないんです。
 でも、話しかけるのをためらいたくなります。
 邪険にされた、無視された、それらの理由で別に目に見えてへこむことはないんですがねぇ。
 契約件数、最終日には7件とれて、結果出てよかったなぁと思いますが、苦手だなぁという思いも同時にあります。
 出会い系サイト規制法(正式名称:インターネット異性紹介事業を利用して児童を誘引する行為の規制等に関する法律)が 昨年9月13日から施行されましたが、その直前に出会い系サイトのサクラのバイトを体験する機会がありました。
 それも、即、手を引きました。
 向いてないなぁ。
 騙すのは悪いこととして、騙さなきゃいい、夢だけ売ればいいとその会社の社員は私にいいました。
 サクラだろうが何だろうが相手を楽しませてあげらえればいい、と。
 でも、罪悪感で嫌になっちゃったんです。

 クレジットカードはなぁ・・・ポイントカードと一緒になってるタイプで、確かに便利で、私なら作りたいと思うもの で、だから別に罪悪感なんか感じる必要ないんだけどなぁ。
 件数稼がなくちゃっていうがっついた感情が嫌なのかなあ。
 一年前、たばこの値上げ直前の纏め買いをすすめるバイトをしたときはただただいい思い出だけが残っています。
 たばこをカートンですすめるのは難しかったです。
 自分がいつも買っているたばこならカートンで買うけれど、吸った事のないものをすすめられたからといって カートンでは普通買わないですからね。
「嗜好品なんだからごちゃごちゃ言わないで」
と嫌がる人もいたんですけどねぇ。
 あれも肉体的にはキツい仕事だったんですが、それ以上に出会いが楽しくて仕方がなかったです。
 今回も出会いは楽しかったんですよ。

 ええ、なんでこんなにウダウダゆってるかといいますと、継続してこの仕事をやらないかと派遣会社から連絡があった からなんですね。
 接客は大好き。
 キツい仕事だけど、やれば慣れもするでしょう。
 でも何となく、踏み切れない気持ち。
 安定したバイトを今ひとつもやってないんで・・・ありがたい話でもあるんです。
 あぁ、どうしよう。
 前述と重複しますが、熱がでた日の夜クレジットカードの申込書の夢をひたすらみてうなされたことも思い出したり。
 楽な仕事なんてめったにあるもんじゃないし、働くとは大変なこと。
 開店から閉店までバイトしてたら、HOTROADの雑務は夜中にしか出来ないなぁ、とか。
 チャットガールのバイトは定期的にやらなきゃ客離れしてしまうのにいつやろう、とか。
 スニーカーで出来る仕事を選んできたっていうのもありますね。
 外反母趾が進行すると手術しないといけなくなったりしますから。
 派遣会社に返事しなきゃいけないので悩んでる時間はあまりありません(´・д・`)


 悩み。
 今悩んでいることはそれくらいですかね。
 ほかにもあるっちゃーあるんです。数日前ここにも書いた悩みはなくなるものではなくて、ずうっと抱えてきたしこれからも 波こそあれしばらく抱えていくものなんです。
 この間、行きつけのうどん屋さんに行ったら、元社員さんがテーブルに座っていました。
 このお店の元社員さんは、今同じ系列の別の会社(に、なるのかな?)にいらっしゃいます。
 私は、少しその会社のお世話になりまして、その社員さんにもお世話いただきました。
 その人は、うどん屋の客としての私(それほど喋らない)と、仕事絡みで少し電話した私しか知らないのですが、 こう語りかけてくれました。
「那須さん、寂しいでしょ」
 ええええ? あたい寂しそう?
 外は寒くて、店内があたたかくて、長い時間うどん屋にいたからそういわれたのでしょうか。
 そしてそのまま、私の悩みを聞くと言って下さったのですが、この方の「那須洋美分析」が結構当たっている気がして ただただびっくりしました。
 寂しいという自覚はないです。最近で寂しかったのは風邪ひいた夜ぐらいです。
 那須さんいい人すぎるんじゃないの、なんて言われたのも、本人にはなんともわからないところです。
 でもそういった点を除くと、言われることの殆どが当てはまるんですね。
 そんな分かりやすいのかしら、私ったら・・・。
 その社員さんが励まそうとしてくれているのが分かったので嬉しかったです。
 大丈夫、今結構前向きで充実している時期なのだ☆



 だめだ、書ききれない。
 日記をサボッた間に書きたいと思ったことがすべて書ききれない。
 今夜はこれにて、終了します。
 まとまりのない、長い日記を読んでくださった方、有難うございますm(_ _)m


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  あと1日・・・m(_ _)m →2004年11月22日(月)


 掲示板の方にも書きましたが、発熱したり帰宅が極端に遅かったりで日記の更新が遅れております(´・д・`)
 遅くとも24日には必ず、更新できると思います(>Д<)ゝ”


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  新しいタイプのポイントカードに
お切り替えはお済みでいらっしゃいますか?
→2004年11月20日(土)


 タイトルは、私が昨日から大声を出して叫んでいる言葉です。
 ある百貨店の9階で、開店から閉店までパンプス履いて立ちっぱなしで短期のバイトをしてます。足が痛いです。
 朝早く夜帰りが遅いのと、なにより疲れでバタンキューなのとで・・・日記の更新は22日からになります。
 夕べはPCの調子もちょっと芳しくなかったんですよね・・・。途中でうっかり寝てしまいました。
 それでは月曜日にお会いしましょうm(_ _)m


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  二黒土星 →2004年11月18日(木)


 二黒土星の来年、再来年の運勢はとっても良いよ。
 二黒土星は君の星だ。
 本厄、後厄の陰からの転換があるとさ。
 陰から陽へ、ようやく太陽が昇り、すがすがしい一日の始まりを呈する星回りがやってくるぞ。
 象意は始まり。
 発展、発生、声、顕現など元気欲活動開始だ。
 柔順な働き者の姿勢は守り、計画を立ててきたことを実行に移して着実な前進を計りたい一年だとよ。
 とにかく威勢運だ。
 渋滞運が後二ヶ月で終わる。 「朝起き三文の徳」
 芝居の方、一生懸命に上手にやれよ。


 両親が、岐阜から舞台『新宿笑猫亭』に足を運んでくれました。
 その直前に父が送ってくれたメールがこれです。
 とても嬉しい気持ちで読みました。
 二黒土星の運勢を見て、父が嬉しくなってすぐ知らせようと送ってくれたそうです。
 ただ、来年運勢がよくなる実感みたいなものは特にありませんでしたし、今が低迷期だとも思っていませんでした。

 数日しか経ってませんが、今は少し実感が沸きました。
 いい事がありました。
 ううん、違うかな。
 いい事の種ができました。
 種は蒔いても芽が出るとも育つとも限りません。
 でも、種がなくては話にもなりませんよね。
 11月22日に、その1歩を踏み出せるかもしれません。


 数日前、私が苦しんでいたことも、数日間で落ち着いてきました。
 その陰には、悩みの内容を語らなくてもエールを送ってくれたぱげぽんや大作、鶴丸さん、鬼太郎さんをはじめ、 この日記を読んでくれた人の存在があります。
 私の悩みに対して欲しい言葉をくれた甲ちゃんがあります。
 黙って見守ってくれた人もいると思います。
 そして、偶然にも私の目の前には僅かな時間がありました。
 沈んだり浮上したり出来る時間。
 たったの1〜2週間でしたが、大きく私を変えました。
 変えた、というか、自分が決めた道から揺らいでいた気持ちを引き戻すことができました。
 この選択が正しいかどうかはわかりません。
 わかりませんが、晴れ晴れとした気持ちです。

 未練やしがらみ、苦しみを断ち切ること、離れること、それはひとつの道でしょう。
 それが必要な時も多くあるでしょう。
 現代病で一番怖いのはストレスだと言われる今日この頃、我慢して我慢して潰れるよりは、ラクに、肩の力を抜いて生きる 方法もいくらか考えたほうがいいとも言われます。
 でも、2005年の私に必要なことは潰れないことなんじゃないかな。
 小学生の頃流行った大事マンブラザーズの『それが大事』じゃないですけど、負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、 信じぬくこと。
 絶対そこに何かあるよ、と、思うのです。
 結果がどうであっても、何かある。

 あの時、私の人生がもし終わっていたら?
 そう振り返る出来事が今までにひとつだけあります。
 あの時は、今考えると理解できないくらいするりと、それがラクな道だと思えました。
 でも、今考えるとそんなに悲しいことはありません。
 今がないなんて。
 今、目の前の出来事のうち辛いところだけに目を向けて離れてしまったら、もしかしたら忘れてラクになれるかもしれないけれど、 離れないでずっとここで走ってみたら、いつかこう思う思うかもしれない、と思うのです。
 あの時、この道をもし捨てていたら? ・・・そんなに悲しいことはない、と。
 私の幸せと苦しみ、両方が同居しているこの道を、もう少し走ろう。
 走って、走って、走って、絶対何か掴んでやろう。


 さて。
 原画の作成にかなり時間を要してしまいまして、本当に遅くなりましたが、公演関係者及びご来場くださった方へのお礼 状の印刷を今日終えました。
 久々に画材を握って(カラーイラスト用画材を使ったのは今年はこれが初)、ちょっと楽しかったです。
 シンナー系の画材なんですが・・・コピックのCM13番と21番がきれてしまいました。
 給料が入ったらすぐに買い足しておこうっと。
 一人一人へのメッセージを書いて、投函は一斉に行います。
 明日からスケジュールがずっときゅうきゅうになってしまうのですが、なるべく早くお届けします。
 毎度ながら遅くなってごめんなさい。
 那須扱いでご来場のお客様全てにお礼状を送らせて戴きたいのですが、私が住所を知らない方には送ることが出来ません。
 お心当たりの方の中で、受け取ってやってもいいよという方はご一報ください。
 那須扱いでご来場でない方でも、住所をメール戴ければ送らせて戴きます。


 明日から、3日間埼玉の川口でバイトです。
 川口に朝8時・・・結構朝早いのです。
 勤務時間も長いんですが、ちょっとわくわくしてます。
 販売の仕事、思ったより好きなんだなぁと実感しています。約3ヶ月ぶりの販売の仕事がとっても楽しみなんです。
 OL時代もあったので・・・スーツは持ってますが、東京に持ってきているのはグレーのものととベージュの ワンピーススーツと、紺のパンツスーツ。
 リクルートっぽいスーツはまったく持っていなかった私。
 どっちかってーと、生地にも模様がある、マダム系(?)というか、凝ったものが多いんです。
 パンツスーツは「一着でもシンプルなスーツを」と買ったものですが、制服または私服出勤だったためこれには いまだかつて一度も袖を通したことがありません。
 制服が廃止されたあとは、GパンでもOKだったんです。
 スーツなんてまず着用しませんでした。
 明日の仕事は黒か紺の膝丈スカートに白ブラウスの指定アリ。
 紺はパンツスーツしかないので、23区の紺色スカートを使うことにしました。
 ジャケットはなくても、勤務するときにはジャケット着用しないみたいなのでニットベストと合わせればだいじょぶかな。
 外反母趾なので普段パンプスは極力履かない私ですが、靴は黒のパンプスを指定されています。
 バックストラップとミュールが禁止。
 一応ね。OL時代、制服着用時にはパンプスを履いていましたから、持ってはいます。
 東京に来てからも最初のウェイトレスのバイトではパンプス履きました。
 その時は、一番ベーシックなタイプのもの以外は先輩が履かせてくれなかったので、新しく買いました。
 あれが一番足が痛くて嫌だったんですけど・・・。
 毎日足の痛みとの戦いでした。
 足の甲にストラップがあるタイプか、ローファーっぽいデザインのパンプスがラクなんです。
 今回は禁止されていませんし、むしろローファーでもいいということなので、このローファーっぽいデザインの パンプスを引っ張り出してみました。
 もうね、久々ですよ。靴なんて磨くの。
 1時に帰宅して、靴磨いて、スカートにアイロンかけて、気づいたら朝4時。
 4時ですよアナタ!!
 これから大急ぎでシャワー浴びて寝ます!
 おやすみなさい☆ミ


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  ♪こんな年齢だし 親も年だし
   あなたしかいないし〜 ねええ〜
→2004年11月16日(火)


 あ。
 大黒摩季だ。

 昨日、とある地域センターに、会議室の使用承諾書を貰いに行った帰り、寄った99円ショップ。
 店内では、あのSHOP99テーマソングではなく大黒摩季の懐かしいナンバーがかかっていました。

 大黒摩季、というと、結構息の長いシンガーだったイメージがあります。
 最近もたまにCMなどで聴きます。
 でも私は全然聴かなくなりました。
 HOTROADメンバーに「大黒摩季が好きじゃない」という人がいるので、なんとなく稽古場で流すBGMからも大黒摩季を 外していたんですね。
 19から20歳の頃だったかなぁ・・・運転する車の中でひたすら『大黒摩季BEST OF BEST』を流していた 時期がありました。
 女心を、女性の視点から赤裸々に描く、そういう印象が強いです。
 ずうっと聴いていなかったので、歌詞が新鮮に響きました。
 わずかに5年。
 5年前によく聴いていたCDだけれども、この5年で自分の受け止め方も変わっていました。
 これからもっとリアルになっていくのかな。
 久々に聴いて、ああ好きだなぁと思いました。
 ゴーストライターがいる疑惑だとか、色々あったみたいですけど、その辺よく知りませんけど、とりあえず出来上がっている曲は 好きです。

 最初にかかっていた曲は『永遠の夢に向かって』、次にかかったのは『ら・ら・ら』、その後が『夢の続き』・・・3曲も 聴いてから店を出ました。
 この並びは、『大黒摩季BEST OF BEST』ですね。
 彼女のアルバムはいっぱい・・・8枚くらい持っていますが、一番聴いたアルバムです。
 そんなわけで今日の日記タイトルは『ら・ら・ら』から。

♪年月(とき)が経つのはナゼこんなに早いのだろう
 あっという間にもう こんな年齢だし、親も年だし、
 あなたしかいないし・・・ねえ

 昨日、このフレーズが耳に残ったんです。
『ら・ら・ら』が流行った頃は・・・中学生だったんじゃないかなぁ。確か。
 アニメのスラムダンクか何かのタイアップじゃなかったですっけ?
 その記憶が確かならば中学時代です。
 この曲の影響だかどうだかわかりませんが、昨日の夜みた夢には小・中学校仲が良かったクラスメイトの美少女Mちゃん が出てきました。
 教室の中から、廊下にいる私に窓越しに声をかけるMちゃん。
「那須ー、悪いけど、アレお願い」
 アレ、が何なのかはちょっと思い出せません。
「おっけー」
と返す私。
 那須さん、と呼ばれるようになったのは高校から。
 那須ちゃん、と呼ばれるようになったのは何とHOTROADから。
 中学までは、男女問わずみんな私を「那須」と呼びました。
 今考えると不思議です。
 初めて話す子も、みんな私を呼び捨て。
 1小1中制の仲のよさからでしょうかね。

 ちょっと、ゆっくり大黒摩季が聴きたくなりました。
 はなまるマーケット観おわったら(笑)CDかけようかな。
 TBSっ子の私。
 今朝も『ウオッチ!』から朝が始まりました。


 夢といえば。
 よく、深層心理が顕著に出るのが夢だと聞きます。
 私もそれにはすこし興味があって、『夢占い辞典』は2冊もってます。
 有名占い師・鏡リュウジさんと、マドモアゼル愛さんの。
 最近、寝言が凄いんです。
 もともと寝言をいう質なんですけど、内容が激しいというか。

「触んないでよッ!」
「お願い、もうほっといて・・・」

 んで、夢の内容は寝言を叫んだ瞬間に忘れます。
 一体どんな夢みてんだ? 私・・・(笑)。
 人間嫌いとかじゃないんですけどね。溜まってんスかね?
 この間なんて、ミイラにすがりつかれて逃げられない夢を観ました。
 苦しくて苦しくて目が覚めたら、全身が痛いんです。
 よほど全身緊張していたんでしょうね。
 原因はわかっています。
 前夜、流しっぱなしで寝てしまった冬ソナのサントラCD!
『笑猫亭』で使うために買ったこのCDですが、折角なので最近聴いていたんですよ。
 新品で買ったのですが、稽古場と自宅を往復する間に傷がついたようで・・・5曲目の最中に音とびします。

ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ・・・

 コーレダー!!(by マツ as 三太 from 新宿笑猫亭)
 さっき、ミイラが私にしがみついてきた時の効果音というかミイラが発していた声にならない声の正体です。
 永遠に先に進まないで、ガ、ガ、ガ、ガと鳴り続ける。そりゃ逃れられない筈ですよね。
 生活は、辛いことも楽しいこともあって前進、成長があるんですが・・・夢の中くらい無条件に年中楽しくありたいものです。
 とほほ。
 

 さて。
 昨日の夜は、久々にHOTROADの役者だけで集う会が催されました。
 改まって召集がかかって集ったのは・・・思えば、1年ぶりなんです。
 会議の帰りにフラリと、くらいはあったかもしれないんですけどね。
 1年前と同じ、某所の和民。
 大分県の小学生に演劇を伝えに、飛行機で旅立っている拓さんだけは参加できませんでしたが、久々に心から落ち着く飲み会になりました。
 ホームグラウンド、なんだなぁ。HOTROAD。


 大黒摩季のアルバムとともに過ごす今日は、どんな一日になるかな。





 追記。

 日記を書き上げたのは午前中だったのですが、夕方16時半になってとても嬉しい出来事があったので、再び追記します。
 数日前からこの日記内で「持病の金欠病」の発作が出た、とここに書いてきました。
 公演終了し、登録のバイトがぽつぽつとあるだけの日々、いつ給料が入るという明確な目安もないのです。

 そんな折。
 実家から、救援物資が届きました。
 16時30分頃届いたそのダンボールをあけると、缶詰やらレトルトの食材やらがぎっしり詰まっていました。
 ああ、母の愛だ・・・。
 実家から救援物資が届いたことは、上京後3年の間に何度もあります。
 でも、今回は少しいつもと変わったものも入っていました。
 サラミ2袋。
 ビスケット。
 チロルチョコ10連パック。

間違いない。

 これは父の愛だ・・・。
 父と母、二人で近所のスーパーへ買出しにいってくれたようです。

 それから。
 先日、母とMSNメッセンジャーでチャットしていて、(うちは母と弟がチャットユーザーなのである)
「今一番欲しいものはなあに?」
と聞かれました。
「えーと・・・『ルックお風呂の洗剤』。上京するとき持たせてくれたアレ、汚れ落ちるのよ〜。」

それも送ってくれました。

 母上、命がけで風呂掃除します!
 こすります! こすります!
 カビと戦います!! 全身全霊をかけて!!!

 いや、実際、ルックお風呂の洗剤すら買うのを控えている節約生活。
 洗剤1本払えないわけじゃないけど、急ぎじゃない。先の見通しが見えるまでは使い込めない感じなのです。
 おかん有難う。
 おとん有難う。
 抱きしめてめちゃくちゃにキス攻めにしてあげたいけれど(笑)、力いっぱい嫌がって逃げそうなので言葉だけで 感謝を伝えようと思います。
 それからもうひとつ。
 ある女性が、数日前に送ったメールの返事をくれました。
 涙がでちゃいました。
 嬉しい事もある。
 嬉しい事がいっぱいある。
 明日はバイトの研修です。エネルギー充電できたし、がんばるぞぅ!


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  あたしも考える葦である? →2004年11月14日(日)


 所用でぱげぽんちゃん(松波庄九郎氏)と逢いました。
 ぱげぽんちゃんはいい子です。
 3歳年上だし「いい子」はおかしいか・・・でも、何だか可愛いのです。
 そして優しいです。
 敢えて言わなくてもHOTROADメンバーはみんな本当に大好きなんだけど、今日ちょっとぱげぽんちゃんの 優しさに触れたので書いてみました。
 まぁ『今日の日記』ですからね。


 何だか、次から次へとやる事がわいてきます。
 公演終了後、家具を組み立ててドライバーとなぐりを握っていたら右手の手のひらにマメが出来ました。
 上京当初、ベッドや机を組み立てた時も出来たっけ。
 家具が完成したら、部屋の模様替え兼大掃除です。
 これはもう8割終わりました。あと少し。
 それから、笑猫亭に御来場下さったお客様へのお礼状を書いています。
 明日には出したいので今晩頑張りますが、結構時間かかってます。

 一連の色々が終わったら、『くちなし色の時間』を完結させなければと思っています。
 旧サイトに途中までUPしていた恋愛小説。今夜こっちのサイトにもUPしますね。
 パソコンを買い換えて、一太郎からWORDに変わった事を理由に更新を停止していたのですが、今完結させるべきだという気がします。
 あの話は、本当は21歳の頃に書き上げとくべきだったのかもしれません。
 いつまでも21歳の感覚でいないで、先へ進むことが必要だから。
 逆に言うと、今の私にはない観点から書いたものを今読みたかったから。
 あの二人の物語は、随分先まで考えてあります。どこまでを描いて完結とするか、まだ迷っています。
 作品として、どこまでで収めるべきなのか。
 女心として、どこまでで収まるものなのか。
 男心として、どこまでで収めてしまうものなのか。
 まだ決められずにいるので、書きながら定めていきたいと思います。

 新宿笑猫亭が終わったら、オーディションを受けようかと思っていました。
 いつも受けているようなドラマや再現Vのではなく、舞台のオーディションです。
 舞台はHOTROADばかりでしたが、次回公演の前に外へ出てみようかと思っていました。
 それは今でも、興味のあることです。ですが、ちょっと実現出来ないかもしれません。
 金銭的な理由も大きいです。
 それ以上に、自分を振り返って諌めたいという気持ちも強くあります。
 何となくでは乗り越えられないものを自分の力で乗り越えるために。
 時間が解決すると思っていました。
 数年経ちました。
 時間は作るものだという結論に、どうしても至りました。

 今週は考える週になります。
 悩まず考えます。
 さぁ、どうしようか。
 未来のためにどうしようか。


 余談ですが、フジテレビで12日13日放送された『Drコトー診療所・2004』、タイマー録画しました。
 最近、昼間再放送されていたのを観て、スペシャルも観たくなったんです。
 ところが、前編の途中で何故か最後が切れて録画しきれていません。
 しかも、後編はすっかり録画を忘れました。
 消化不良、欲求不満、ああ切ない、切ないです(笑)。
 そこへぱげぽんちゃん。
 ビデオ撮ったそうです。
 次回HOTROAD会議の日に貸してくれるそうです。
 ああ、ぱげぽんちゃん!
 君は天使だ!!

 まぁ、それでぱげぽんちゃんのことをこの日記の冒頭で優しいとゆったわけじゃないですけどね(笑)。  無事、スペシャルを観た人は、私の前で結末を言わないでくださいよ(笑)! 私は、あやかママが手術しているところ までしか観てないんですから!


 最後に。
 もう、とうに過ぎてしまったんですが・・・11月11日について。
 平成元年の11月11日、各メディアは大騒ぎしました。
 各番組の放送中、画面右下に不自然にならぶ日付。
 何で今日はわざわざ日付を表示してるんだろう。
『1が5つも並んでいる!』とのことでした。
 当時私は小学生でしたが、
「平成11年11月11日の方がすごいじゃん。・・・あぁ、でも、明治や昭和のように平成が長く続くとも限らないか。 平成11年になったら、私も今日のこの記憶なんてすっかり消えちゃってるんだろうな」
と思いました。
 平成11年が訪れた時、私はOLでした。
 自分が、10年前のことをしっかり覚えていたことがちょっと驚きでした。
 世間は、11年の11月11日に騒ぐことはありませんでした。
 平成元年にはあんなに騒いだのに。

 11月11日が来ると、毎年思い出します。
 そして、平成11年から早5年がたってしまったのだなぁと、時間の経過を思い知らされます。
 下らないこと、ささいなことが積み重なって、私は気づいたらいくつになってしまうのだろう。
 いくつになったら、今日がささいなことに変わるのだろう。

 11月というと、もうひとつ忘れられない日があります。
 大好きないとこの誕生日です。
 ここへ遊びにきてくれている、いさなちゃんの誕生日でもあります。
 物心ついた頃から遊んでいたいとこは、高校も一緒でした。
 同じクラスだったので、同窓会でも顔をあわせます。
 いさなちゃんは、高校卒業後芝居を学んだ仲間です。
 今年は金欠病がちょっと激しいので、とりあえず言葉だけになりますが・・・今からその日が楽しみです。
 大切な誰かが幸せな日って、それだけでちょっと嬉しいから。
   

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  ♪いつかのメ〜リークリスマ〜ス♪♪ →2004年11月13日(土)


 デジカメを持って外出しなかったので、久々に11万画素のへっぽこ携帯による撮影。


 何となく、忘れ難い顔をしたドラえもんだったので、撮ってきてしまいました。
 あるゲーセンの、入り口においてあった黒板に書かれた絵です。
 ドラえもんはよくパロディに使われたりします。
 よって数多の『変顔ドラ』が存在しますが、めちゃくちゃにドラえもんを破壊したものが必ずしも私の記憶に残るとも 限りません。
 うまく言えてるかなぁ。
 この写メのドラえもんは、それほどドラえもんを破壊した強烈イラストではないんです が、何だか残ってしまったんです。
 主張の見える絵を描きたいなというお話でございました(どこが?)。


 さて。
 観てまいりました、野田達也君の初舞台。

▲去年の秋に撮影した写メ▲

 まだ観てない人もいるかと思うので詳しくは書けませんが、

まんま、たっちゃんでした。

 男女問わず慕われる屈託のない笑顔が魅力の彼ですが、たっちゃん演ずる『マサト』もよく笑う男の子でした。
 一体、彼の『過去』はどんなものだったんでしょうかね。
 お話そのものは、HOTROADとは正反対な淡々と展開するお芝居。
 今日は一日に3ステージあるそうです・・・有り得ない・・・3ステージって・・・!
 2ステージでもへろへろになるというのに!
 今日、明日の6ステージで終了いたします。
 たっちゃんの歌を、道端で行きずりにとかではなくちゃんと座って聴いたのは、思えば5月25日の原宿RUIDOライブ以来 です。
 このお話に、不思議なくらいマッチしていたたっちゃんの歌はもう少し聴いていたかったですね。
 6月には、またHOTROAD公演と同じ月になってしまうんですけど、同劇団にてたっちゃんが主役をやるとかやらないとか。
 ミュージシャン・野田達也の新しい一面に注目! なのです。

 それから。
 ガラッと話は変わるんですけど。
 お聞きになりました? 奥さん。

ヨン様ったらすんごいマッチョなんですってよ!

 あーびっくりした。
 韓国では、肉体を鍛えていないとトップスターにはなれないんだそうですね。
 アクションの国ですものね。
 役作りを理由に冬のソナタ全20話をビデオで観たわたくし。
 ドラマ、後半にはいくらか感情移入したものの・・・ヨン様にのめりこむことはございませんでした。
 ファンでもなんでもないのですが、ちょっと興味深いニュースでございました。
 ワイドショーでね、観たんですのよ。
 あれ、写真集ですかね? 写真集発売のニュースでしたかしらね? 
 すんごい腹筋でした。パッキリ6つ割れ。
 那須は二の腕フェチとして一部で有名(?)ですが、正直ヨン様のイメージとその肉体のミスマッチさには・・・愕然と 致しました。
 ペ・ヨンジュン氏のおっとりとしたイメージにあわなさすぎます。
 漫画の様なマッチョマンなんですねえ・・・。
 あまりにびっくりしたので書いてしまいました。


 今日はいい天気ですね。
 木枯らし第一号が吹いたとかで、風は冷たいですけど、よく晴れています。
 こんなにいい天気なのに、今朝の私の心には小さな影が見受けられます。
 気になりだしたら止まらない悩み事があるんです。
 ああ、どうしよう、どう切り抜けよう、って、そういう悩み事じゃありません。
 どうしようって、今改めて悩んでるわけじゃないんです。
 自分の中で答えをはっきりと出している、とある事柄について・・・いつまでたっても揺れるのです。
 迷いではありません。
 自分のとろうとする行動について、貫こうとする意志について迷いがあるわけではないんです。
 私がとる行動はこれしかない。
 その選択はいつも変わらない。
 でも、負けそうになるんです。
 他にどうしようもなくても、揺るがなくても、全てを放りだしたくなる発作のような瞬間があります。

 私はまだ弱い。

 いつまでたっても弱い。
 どうしてひとは勝手に不安になるんでしょう。
 どうして、期待や不安はひとりでに膨らむのでしょう。
 現実だけを飲み込んで歩いていけたら、余計に辛いでしょうか。
 それとも、その方があっさりとラクに生きていけるでしょうか。

 腹をくくった日がありました。
 自分のこれからを固く決意した日がありました。
 答えを据えたことで、ラクになった部分があります。だから私はいくつかの悲しいことを笑って堪えられるんです。
 けれどそれは、その後の苦しみを甘んじて受けようという決意にもなりました。
 辛いことから目を逸らさないという行為は、どうあがいても辛いもの。
 判っていたことなんです。
 当たり前のことなんです。
 でも、しがみついていたいものと捨ててしまいたいものとがイコールなんです。
 だから、負けちゃだめなんです。
 結局負けるくらいだったら、最初からもっと違う方向にエネルギーを使った方がいい。
 どうしてもそうしたくないんだから、踏ん張りなさい。
 踏ん張りなさい。

 久しぶりに、観念的というか抽象的な文章になってしまいました。
 最近ね、思うんです。
 最近といっても昨日今日じゃなくて、ここ数年ということですけど。
 人間って、悩む生き物なんだなぁ。
 当たり前といえばそうなんですが、改めて思うんです。
 悩むポイントや度合いは勿論違うけれど、誰もが悩み、何らかの道を選んで歩いていく。
 たとえば、私の目の前に誰か悩んでいる人が現れたとします。
 その人が望むなら、悩みを聞くことは出来るでしょう。
 でも、それ以上に私が出来ることって何もないことの方が圧倒的に多いんです。
 なぜなら、私には私の人生があるから。
 だから、私が悩んでいた時、私の人生を決められるのも私だけなんです。
 あの人が、私の苦悩する様子を黙って目を細めて見送るだけなのも、あの人にはあの人の人生があるからなんです。
 それは身勝手じゃない。
 酷いんじゃない。
 ただそれだけの事実なんです。

 誰かのために何かをする、なんてこともしたくなっちゃうのが『人間』ですけどね。
 沢山の人に助けられて、やっと自分がここにいるんですけどね。
 心を鬼にして、って言葉もあるじゃない? 
 子育てとかでも・・・子供が可愛いからって、甘やかすとダメだったりするじゃない? 
 自己犠牲が正義とは言えない部分がありますよね。
 う〜ん、うまく言いたいことがなんとなく言えてるかしら。
 それらの言葉で、自分を奮い立たせようとしてるんです私。
 自分が向き合って、耐えていかなくちゃいけないことなんだぞ、って。



 王様のブランチで、クリスマスのディズニーシーの特集やってました。
 ミッキーとミニーのアイスダンス凄いな・・・。
 あのでっかい着ぐるみ着て、よく踊りますよねぇ。
 めちゃめちゃ可愛かったです。
 去年は一回しかディズニーシー行ってないな。
 ちょうどこれくらいの時期に行ったんだよなぁ・・・。
 今年は一回も。
 ディズニーランドの方にそろそろ行きたいな。





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  こんにゃく生活。 →2004年11月11日(木)


 消えちゃうなぁ。
 日記を書きましたらね。
 今度は、システムエラーで消えないように、コピーをあらかじめとってから保存しようとしました。
 Altキーを打とうとして、違うキーを押したのか・・・その瞬間に消えました。
 ぶーーー。
 こんなんばっかや。

 さて。  初夏に比べて、ウエイト5キロ落として、それを自分の体に馴染ませるのに成功しました。
 落とすのは比較的簡単ですが、馴染ませるのが結構かかりますね。
 停滞期、リバウンド期などを越えて、ようやく体重の変動がなくなってきました。
 あと2〜3キロかな。
 公演終了後、持病の金欠病の発病もあり(笑)、こんにゃく生活を続けています。
 楽屋では時間に追われて食事を買いに出かける時間がないことも多かったんです。
 それで買いためておいたインスタントのかんてん麺やこんにゃくパスタ、はるさめ、リゾット。
 それらが現在の主食であります。
 買いだめしてあったので、それを食べれば食費かかんないというわけ。
 ダイエット食品ってよく研究されていますね。そればかりだとやはり飽きますが・・・たまに豪快に食べたくもなりますが、 一食70〜120キロカロリーとかでよく体調崩さないもんだと関心致しました。
 公演中、喉の炎症は起こしましたが、あれは環境によるもの。
 埃などが原因であって、体力の低下ではないらしいです。
 ちなみに私、それほど大食いでもないと思います。
 ぶりっことか小食ぶってるとかではなく、身長が153〜154センチしかないですから、こんなもんでしょう。
 胃は丈夫で、詰め込めば詰め込めますけど。
 マックのバリューセットを全部食べると苦しい、という程度です。
 コンビニのおにぎりは、2つまで食べられます。でも2つ食べるとかなり満腹です。
 まぁ普通かなぁ。普通でない? 本人的には普通なんですけど。
 勘違いだったらごめんなさいね。判断基準が自分の感覚でしかないので・・・。
 新陳代謝がよくなくて、燃費はすこぶるいい。
 うちの母は、最近医師に「コレステロールがたまりやすい」と診断されたようです。
 職業柄食べるのが早いことを除けば、別段大食いでもなんでもない母。
 私も同じかどうかは定かではありませんが、私の場合汗の量は極端にすくないし、体質的に発散しにくいことは確かだと思います。
 私がウエイトを落とそうと思ったら、かなり食事を減らさなければいけないんだなぁということが判明しました。
 成人女性が一日に必要なエネルギーは1000だとか1200だとかいいますよね。
 でも・・・1200もとっていると、何だか体重が少しずつ増えていって、一向に減らないのです。
 公演期間中、少ない日は、一日500キロカロリーくらいしかとってなかったりもしました。
 やせればいいってもんでもないし、食事を抑えればいいってもんでもないですけど、ベスト体重にはしたいですね。
 体身軽ですもん。
 今回、ウエディングドレス苦労したんですよ。衣装の。
 普段、服は9号で(物によっては7号でも)入るんですが、ウエディングドレスってまるでコルセットのようでしょ。
 伸びる素材でもない。
 Tシャツとかは、レディースのM。男女兼用ならS。
 でも、ドレスはそういう感覚じゃダメなんです。
 最初9号で買って、裂けてしまう部分があってダメで、結局13号のぶかぶかを買って、部分的にあまりにぶかぶかなので安全ピンでとめました。
 毎回楽屋でサトミちゃんにとめてもらってたの。
 でも、ぶかぶかな部分もあれば、キツい部分もまだありました。
 舞台で記念に集合写真を撮った時に、不意に背中のファスナーも安全ピンも全部バッチーンととんでしまって背中があらわに なった事件がありましたが・・・その事件の目撃者には、あの衣装の大変さもわかってもらえるかもしれません。
 あれは私もビビりました。
 第一、13号サイズのドレスって数も希少。
 それぞれ、体型って違うので・・・どんな服でも着られるとはいかないと思うけれど・・・もう少し、対応できるように なりたいわけです。
 全体的に標準サイズに近づければもう少しラクかな。
 そんなわけで、あと2キロ程度は頑張ろうかな。
 無理はしません。
 個性は個性として大事にしたいです。
 それに、誰かと外食したりする時はやっぱり別。
 食事制限も、メリハリなくしては続かないと思うんです。
 ずるずる食べなければオッケー。
 食事を楽しめないことがストレスになるくらいだったら、たまには食べちゃいましょ。
 そんなポリシーでございます。


 外は雨ですね。
 この日記、11日の日記として書き始めましたが、消えたりうなだれたりしているうちに12日の朝が訪れました。
 今日は、池袋の夜を彩るストリートミュージシャン 野田達也君がゲストとして出演する、空中バレエさんの舞台を観に行って来ます。
 たっちゃんはこれが初舞台。
 まんま、ミュージシャン役で出るみたいです。
 本番直前なのにHOTROADの公演にも稽古前に来てくれました。
 連日前売完売続出だそうですが、興味のある方は是非観にいってくださいね。

 舞台が終わって、7日の夜から8日の朝にかけて徹夜打ち上げがあって、8日の朝に稽古日記を書こうとして文章が消えて 力尽きて寝て、9日の朝に目が覚めて(24時間眠りこけてた)、9日・10日と時間に追われて、11日は久しぶりに 休暇らしい休暇を過ごしました。
 映画『菩提樹』のビデオを観たりしたんですよ。
 私、家具は通販で、電化製品は池袋のビックカメラで買いました。
 上京してきた当初は、実家から持ってきたコンポも「棚が届くまでは」と箱から出さず、1週間ほど家具も電化製品 もない日々を送ったんです。
 音のない日々。
 人にも逢わない日々。
 そんな時、あるBOOK−OFFでこのビデオと出会いました。
 南野陽子さん主演の映画、『菩提樹』。
 原作は大和和紀さんです。
 ヨコハマ物語、はいからさんが通るなど、大和和紀さんの作品は大好きで殆ど本棚に揃えている私。
 テレビとビデオが届いたら、最初にこの映画を観よう! ・・・と買ったのを思い出しました。
 3年前に1回観たっきり、眠っていたビデオなんです。
 引っ張り出して懐かしく鑑賞しちゃった・・・休暇っぽいでしょ(笑)。

 それから、久々にテレビ番組も観てます。
 公演前だってテレビを観ようと思えば家にいる時間はあったわけですが、精神的余裕の問題でしょうかね・・・何ヶ月も テレビを観ない生活が続いていました。
 ぼんやり、TBSをつけっぱなしにしていると、毎日大好きなアナウンサー小林豊さんが映っています。
 平日なら昼の12時半くらいかな。
 夕刊チェックのコーナーで、小林さんのコメントに笑ったりへらへらしたりしている日々。
 大好きだなぁ・・・小林さん。
 新潟の地震の被害の大きさも、耳で聞いていた以上の衝撃をニュース映像からうけました。
 関東大震災から81年。
 東海大震災も囁かれています。
 はいからさんこと花村紅緒は、関東大震災の中で愛する人とようやく結ばれたけれど、失われる愛の数の方が圧倒的に 多いのではないでしょうか。

 それから・・・水曜日、ananを買いました。
 ananは、先月だったか・・・米倉涼子のセミヌードが話題を呼んだ、『恋に効くSEX』の号も買いました。
 恋愛内科25時(来年春放送予定ドラマ)で恋に悩む患者の役をやったとき、「それっぽい雑誌などを持ってきてください」 という指示を受けて、買ったんです。
 結局、現場で「君雑誌やめて電話にしよう。彼氏に電話してて」という指示が出て、雑誌は使わなかったんですけどね。
 表紙に思いっきり赤い文字で『恋に効くSEX』って書いてあります。それっぽいでしょ(笑)?
 撮影の待ち時間に読破したその号の内容は、ツッコミどころ満載でした。
 どのような内容だったかは、有名なこのサイト、『探偵ファイル』さんでもとりあげられていましたので・・・ 記事その1記事その2を御覧ください。
 私の中のananっていう女性雑誌のイメージはことごとくぶっ壊れました(笑)。
 今週もananを買った理由は、ワイドショーで取り上げられていたからです。
 特集は、『恋のリアルライフ』。1269人のアンケートで解明したイマドキの恋愛、とかいう内容です。
 現代の若者カップルが別れる理由に、携帯電話の存在の影響が大きく出ている――その報道に、その点をもう少し詳しく 読みたいな、と思いました。
 携帯電話。
 これ、非常に便利です。
 私が中学生の頃、ポケベルブームが訪れました。
 私がポケベルを買ったのは高校1年の頃。
 必要ないという母の反対があったので、持つのが遅くなりました。
 そんなもの必要ないという保護者の気持ちがわからないわけじゃないんですが、元来こういうモノ大好きな性格なので、 お母さんごめんと思いながら自分で買いました。
 やがて、ポケットベルは両親にも利用されるようになりました。
 父は仕事柄、昔からポケベルも携帯も持っていたんです。
 でも、娘のポケットベルが我が家に定着するのには数ヶ月かかったのを覚えています。
 高校3年の終わりごろには、私の帰宅が遅いと度々母から『チチキトク スグカエレ』などのメッセージが入力 されるようになっていました。
 当時、強く感じたのは、寂しがりやな私にほんとにぴったりだなあということです。
 わざわざ電話するまでもないけれど、ベルでなら伝えられるひとことってのがあるじゃないですか。
 おやすみ、おはよう、などなど。
 届くとちょっと嬉しい、送るとちょっと暖かい、そんな一言。
 携帯電話は、その便利に拍車をかけました。
 今まで、面倒なものという認識が大きかったメールを簡単な、身近なものにしたのも携帯の普及です。
 公衆電話前に並ばなくてもメッセージが送れる。
 便利ですよね。
 当時、家の電話しかなかった頃は電話すると恋人や友人の親さんが出るとかって問題もあったのですが、今ではそれすら も懐かしいです。
 携帯電話を持ったきっかけは、ある日突然父が買ってきたことでした。
 私が父の車の中でポケベルを失くした事件があったのです。
 結局ベルはやがて発見されたのですが、家族にとってもポケベルで連絡を取れるという便利を失うと少し不便なんだなぁ ということが判った事件でした。
 携帯を持ち始めた頃は、月額使用量が1000円にも満たなかったですね。基本使用料は勿論もっとかかっていますが。
 通話料も今に比べて断然高かったあの頃、極力使わないようにしていた記憶があります。

 今では、携帯電話を持っているのが常識というくらいに普及しています。
 恋人が気持ちを伝え合うのも、待ち合わせも、携帯の存在にずいぶん頼ることが多いのではないでしょうか。
 でも、恋人と別れる理由に「彼の気持ちがわからない」というものが浮上している現実。
 携帯があるからこそ、すぐに連絡がとれるからこそ、連絡がとれないということに深い意味を感じ、それが不安に繋がって しまっているんですね。皮肉な話です。
 携帯は好きです。
 私も、今の世代の人間です。
 携帯をコミュニケーションに生かしたいし、生かせるものだと思います。
 でも、依存しすぎて大切なものを失うのはごめんです。
 面と向かって伝えられない一言があるでしょう。
 伝えたくても、逢うことが出来ない人もいるでしょう。
 問題は、使い方。
 使う側の心意気ですかね。
 ほんのすこしの心のゆとりと、相手の生活に対する思いやりを持ちたいものです。

 言葉って難しい。
 思いのたけを、思い切りぶつけるのがいいとも限らない。
 放出しすぎた言葉は、どんなに自分にとって重い、熱いものでも、軽んじられてしまうことが往々にしてあります。
 かといって、かけひきばかりを重んじているうちに、失うものもあるでしょう。
 とにもかくにも大切な想いは、違えずに伝えたい。
 これは、一生かけて考えていかねばならないかもしれない課題です。


 なんだか、長い日記になりました。
 今度は消えませんように・・・慎重に、保存します。


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